大型図録本 越前焼 珠洲焼 加賀焼 原色愛蔵版 作品集写真集解説本 日本の古陶磁図鑑 日本の陶磁古代中世篇
ECHIZEN WARE,SUZU WARE,KAGA WARE,IIZAKA WARE,KAMEYAMA WARE
責任編集 楢崎彰一
監修 谷川徹三・川端康成
中央公論社
1976年初版
136ページ
約36x27x3cm
作品写真図版フルカラー
函入 布張上製本
※絶版
フルカラー大型図録本、古陶図鑑のうちの一冊。「越前・珠洲」。
日本六古窯のうち、古越前焼の平安・鎌倉・室町期を中心に、古加賀焼・古珠洲焼に加えて飯坂焼、亀山焼を含む古陶を加えて、大甕、大壺、中壺、片口壺、双耳壺、四耳壺、小壺、おはぐろ壺/お歯黒壺、擂鉢など厳選された優品119点を収録。
図版の配列は時代別に、あらゆる器形を整理分類、網羅して掲載。
窯印のあるものは、解説文中に各作品の窯印を図示。
フルカラー写真に加えて、巻末には全作品の名称、出土地、目安としての寸法、製作年代、見どころ、技法、作風、などを詳細に解説。
また、巻末には「編年図」越前焼中世陶器編年図
(平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、桃山時代、江戸時代初期)、
珠洲焼陶器編年図
(平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代の古珠洲焼/珠洲古窯)
写真を壺1,2、瓶/甕1,2、その他の器別ごとに分類・年代順に並べた一覧図表を集録。
作品の特徴をもとに作風の変遷がよくわかり、年代鑑定に役立つ図表です。
作品名、寸法については、全作品に英文表記あり。
【監修】
谷川徹三(昭和を代表する哲学者・国博物館次長・法政大総長等を歴任し、古今東西の思想・宗教・政治・文学・美術に及ぶ広範な評論活動を展開)
川端康成(小説家・文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍)
責任編集は
楢崎彰一( 昭和後期~平成の日本陶磁史を主とした考古学者。名古屋大教授、のち名古屋学院大教授。専攻は日本陶磁史。愛知県猿投山麓をはじめ常滑、瀬戸、越前などの古窯跡を調査・研究。55年第1回小山冨士夫記念賞功績褒賞。日本の古陶磁・古窯研究の第一人者)
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、参考文献としても多く引用されてきた一冊。
美術館・博物館所蔵の重要文化財、在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
日本の古窯愛好家、陶芸家、古陶磁、花入、花器、骨董品愛好家等に必携の、内容充実、
年代鑑定などに欠かせない知識満載の大変貴重な資料本です。
【凡例】
*本巻には鎌倉、室町期を主に、越前、珠洲等の作品百十九図を収録した。図版の数え方は、作品の全体および部分で一図とした。
*図版の配列は時代別にし、あらゆる器形を網羅した。
*原色図版については、右ページに図版、対面の左ページにその解説をつけた。その他の図版については、名称、出土地、目安としての寸法,製作された年代を付し、解説は107―126ページにおいて一括した。
*所蔵者については、博物館、美術館等に属するものは記載し、個人所有のものについては、これを省略した。
*本文中の窯印(注1~23)は、各窯作品解説の末尾に記載した。
【目次】
図版
越前焼 加賀焼
珠洲焼
飯坂焼 亀山焼
解説 楢崎彰一
概説
越前 加賀
珠洲
飯坂 亀山
古窯跡群分布図
編年図
図版目録
参考文献
【作品解説】一部紹介
越前 壺
福井県出土
高さ38.Ocm 胴径36. Ocm
13世紀 水野古陶磁館
惜しくも口頸部の約半分を破損欠失しているが、鎌倉時代の越前大壺をといわれれば、何人といえど本器を推すのにやぶさかではないだろう。越前陶としては比岐的砂質分の少ない良質の土を用いており、よく焼き締まった赤肌に、口縁から肩にかけて濃緑の自然釉がたっぷりとかかり、その一部が胴下半に流下して景趣を添えている。形状あたかも常滑大壺を彷彿させるが、小さくしまった口頸部や口縁帯のつくりは越前独特のものである。肩に十字形の箟描き刻文を有することも越前の特色である。肩のつよい張りや口縁部の形状、大きさに比して小さな底部の形状から推して、その製作年代を鎌倉時代中ごろにおくことができよう。常滑に発し、越前の特色を出し始めた初期の作品といえようか。
越前 双耳壺
高さ40.3cm 口径17.0cm 胴径37.5cm 底径14.8cm
15世紀後半 福井県陶芸館
肩に二個の環状の耳を付けたこの種の双耳壺は15世紀後半から16世紀にかけてつくられた越前独特のものである。外反する短い口頸部の尖端が折り返されて玉縁になっていることやなで肩ながらまだ胴上半にあることなどから、この極の双耳壺のなかでは古式にぞくすることを示している。素地は灰白色の粗い陶土を用いており、かなり小石をかんでいる。胴下半はやや焼きが甘いが、上半はよく焼き締まっていて、囗頸部から胴部中央にかけて自然釉がたっぷりかかり、斜めに流下している。さらに胴部中央に流下した釉の一部が逆に上に向かい、末端に丸く溜っていることは、この壺が釉の融け始める頃から傾き、焼き上がるときに転落して逆さまになったことを示している。肩に叶の窯印があるが、下半は整形時の横ナデによって削られてはっきりしない。また、肩の一部に他の陶片のくっつきがある。越前双耳壺の代表的な作品である。
越前 おはぐろ壺
福井県丹生郡織田町法楽寺出土
高さ11.8cm 口径7. Ocm 胴径13. Ocm 底径11.0cm
15世紀初頭
いわゆる「越前お歯黒壺」のもっとも古いものの一つである。しかし、口縁の一部を鳶口に屈曲させて片口状にした小壷類がその当初からお歯黒壺としてつくられたものかどうかは定かでない。この片口小壷は法楽寺裏山の中世墓地から蔵骨壷として出土したものである。赤褐色のやや粗い土肌に、口縁および肩に黄ごまふり状の自然釉が被っている。胴の中央に@印の箟描き刻文がある。
加賀 大盛
石川県小松市牧口町出土
高さ69. Ocm 口径48. Ocm 胴径75.Ocm 底径17. 5cm
14世紀 小松市立博物館
現在知られる加賀窯産大甕の唯一の完形品である。囗縁端部をN字状に折り返し、幅広い縁帯をつくっていて、器形的にみる限り、越前よりはずっと常滑に近似している。やはり越前陶よりは耐火度が低いためであろう。囗縁の強度を求めた結米と考えられる。粒子の細かい灰白色の器肌をしており、焼成温度はさほど高くない。全体が七段の輪積み成形であり、器面は刷毛を縦に用いて調整している。肩に約20cmの間隔でもって長方形の押印が繞っている。口縁部のつくりや肩の張りからみてその製作年代を鎌倉時代後期におくことができよう。
珠洲 巴文壺
高さ53.5cm 口径19.3cm 胴径42.6cm 底径13.5cm
12世紀
現在知られる珠洲焼最古の壺の一つである。いま惜しくも口縁部が失われてその囗づくりを見ることができないが、まれにみる重量感の溢れた堂々たる壺である。かつて能登の時国家に伝世したという云い伝えをもっており、黒ずんだ器肌の光沢にいかにもその古びを感じさせる。ややきめの細かい土を川いており、つよく張った肩、小さい底部、太い囗頸部、成形に用いられた叩きの密で斜めに一方向に流れる手法はもっとも古い器形と技法であり、その製作年代を平安末期におくことができようか。肩の四方に三つ巴の押印を施している。珠洲大壺の優品の一つに数えることができる。
珠洲 四耳壺
石川県鳳至郡柳田村仏性寺出土
高さ33.5cm 口径14.5cm 胴径30.2cm 底径11. Ocm
14世紀
珠洲焼の優品を一つだけ取り上げよといわれた場合、私はこの四耳壺を挙げることに躊躇しない。私のもっとも好きな珠洲焼の一つである。厚手の重量感に富んだつくりで、非常によく焼き締まって灰黒色を呈し、頸から胴の半面にかけて白ごまふりの自然降灰がある。肩に両端をぴんとはねた四個の縱耳がついているが、この耳の形状こそ他のいかなる中世陶器にもみない珠洲独特のものである。北陸の平安時代須恵器の特色である双耳壺のあの誇張された耳の伝統をこの四耳壺は受けついだのではないだろうか。底部は静止糸切り、胴は紐づくりで継ぎ、板状叩きによる成形後、篦削りで器面調整を施している。鎌倉後期の代表的作品である。
飯坂 壺
福島市飯坂町天王寺経塚出土
高さ28.Ocm 口径16.5cm 胴径31.8~32.4cm 底径11.5cm
12世紀 天王寺
東北地方の経塚から珠洲に似て非なる黒い壺がいままでにいくつも発発見されている。これもその一つで、明治年間、天王寺裏山経塚から承安元年(1171)銘陶製経筒とともに発見されたものである。これがすぐ近くの飯坂高校裏山の毘沙門平古窯で焼かれたものらしいと判ったのはつい数年前のことである。比較的こまかい鉄分の多い陶土を用いた還元焼成でよく焼き締まっており、素地は灰色、器面は黒褐色を呈し、肩から胴の一部にかけて自然釉が被り、かせて白色をしている。厚手の粗雑なつくりで器面は刷毛目調整を行なっている。短く外反する囗頸部や強い肩の張りをもったこの壺は12世紀後半代の飯坂窯の基準資料として貴重である。
亀山 叩文壺
岡山県倉敷市八島出土
高さ23.8cm 口径12.9cm 胴径24.8cm 底径13.7cm
13世紀 亀山神社
須恵器の製作技法を踏襲した中世陶器の東口本の代表を珠洲焼に求めるならば、西日本のそれは岡山西部の亀山焼であろう。 しかし珠洲がいかにも黒々とかたく焼き締められているのに対して、亀山は灰色ないし灰褐色を帯びたやや瓦器質にちかい焼成である。
短く立ち上がる口頸部の上縁を外開きに屈折させた比較的薄手のつくりで,肩はつよく張り出し,底は大きくて安定感に富んでいる。鎌倉中期の亀山壺の典型例である。粘土紐巻き上げつくりで、器面は格子の叩目によって整形しているが、胴下半は箟削り調整によって叩文を消している。底部に下駄印がある。焼成はややあまく、意外に重量が軽い。亀山焼のなかでは薄手の精品の部類にぞくする。
ほか
【解説】より一部紹介
越前と珠洲、この二つは北陸地方の中吐陶器を代表する著名な焼物である。越前は周知のように、福井県南部、武生市から丹生郡の山地において焼かれた無釉の締焼陶である。あたかも常滑のそれを思わせる褐色の器肌に、緑色の自然釉のかかった壺や甕を主として焼いており、しばしば常滑と混同されている。珠洲焼は最近かなり知られるようになった、能登半島の先端、珠洲市周辺の丘陵地帯において焼かれた陶器である。それは一見須恵器とみまがうばかりの黒い焼き肌をした壺・甕・擂鉢などを主として焼いている。(以下略)
【概説】より一部紹介
越前 加賀
北陸における最大の中世窯である越前古窯が一般に知られるようになったのは意外に新しく、戦後のことである。爾来二十数年、在地のほとんど唯一の研究者ともいうべき水野九右衛門氏の努力により、越前古窯は今日ようやく、その全貌が把握できるまでになった。
越前古窯は福井県南部の、丹生郡織田町平等および同宮崎村熊谷を中心とし、越前海岸に急斜面を見せる城山(標高513 m)の東麓に派生する各支丘の南斜面にそれぞれ群をなして分布し、南北五km、東西三kmの範囲に、現在、約百六十基の古窯址が発見されている。(中略)(285頁分布図参照)。
越前古窯の製品はほとんど壺・甕・擂鉢の三種の器物に限られており、わずかに陶錘などの漁具が付随的に焼かれた。壺類には大中小さまざまのものがあり、とくに高さ25 cm前後の中形壺は広口壺、細頭壺、短頭壺、無類壺など変化に富んでいる(図21~25)。口縁部のつくりも丸口のものや面取りのあるもの、外方へ折りまげたもの(略)。
小形壺には高さ20 cm 前後の、面取りを施した短い口頸部をもち、口縁の一部を折りまげて片口状にしたものと、高さ10 cm~12 cm の、肩に双耳を有する、いわゆる「おはぐろ壺」と呼んでいるものがある。甕には高さ30 cm 前後のものと高さ60cmを超える大甕とがある。いずれも口縁部のつくりはN宇状をなし、常滑のそれにきわめて近似するが、時代が降っても常滑のように幅広い縁帯をつくることはない。使用陶土のちがいによるものであろう。擂鉢も外形は常滑に似ているが、(略) 古越前の製作技術についてみると、まずその使用陶土は窯の分布地域が花崗岩を基盤と(以下略)
珠洲
須恵器とみまがうばかりの、いかにも黒々とした珠洲焼は、能登半島の東北端、珠洲市周辺の丘陵地帯において焼かれた。かつて、須恵器と混同されることの多かった珠洲焼が中世陶器の一つの類型を代表する重要なやきものであることが認識されるようになったのは、まだここ十年あまりのことである。昭和二十七、二十八年の九学会による能登総合調査においては,須恵器系統の焼きものが足利時代頃まで行なわれていたといわれたし,昭和三十四年には室町時代の西方寺窯が須恵器窯として珠洲市文化財に指定されるような状況であった。珠洲焼が中世窯としての位置づけを明確にもつようになったのは、昭和三十八年の北国新聞社主催による能登総合調査においてであり、まだ十年の歳月しか経てない。
北陸以北の日本海沿岸から東北地方・北海道南部一帯にその製品がひろく分布する珠洲焼は、その出土量の多いわりには古窯跡の発見数は少ない。現在知られている古窯跡は南北26km,東西3kmの範囲にわたって九地点十二基であるが、そのほとんどが珠洲市上戸町・宝立町の南北5 km、東西2kmのうちに集中している。しかし、今後この稀薄な分布地帯においても発見量は増すであろう。北から記すと、(以下略)
飯坂 亀山
東北地方の古代末・中世の経塚や遺跡から出土する黒ずんだ陶器類はかつてはすべて須恵器として扱われてきた。しかし、この十数年の間に珠洲焼の実態が知られるようになると、一転してこれらは珠洲焼と呼ばれるようになった。日本海沿岸から北海道にかけて出土するものにはたしかに珠洲焼そのものが多いが、内陸部から太平洋岸にかけてのものには素地・焼成の点で若干異なるものが多く、これらを珠洲系陶器と呼んで、珠洲焼そのものと区別しようとする気運が生じてきた。とくに、この二、三年前から多賀城跡や東北縦貫道に伴う遺跡発掘現場からの表面の黒ずんだ陶片の出土が注意されるようになり、その生産址を求めて各地の踏査が行なわれるようになった。その結果、発見されたのが宮城県白石市の東方約4kmの犬卒都婆窯であり、福島市の飯坂窯である。(以下略)
Note:
It was a frequent practice in Japan in and after the Heian Period to bury
copies of sutras (Buddhist scriptures) underground with various supplications. The places where such sutra copies were buried are called Sutra
Mounds. Sutra cases are receptacles of various shapes made of bronze,
pottery、etc. in which the copies were buried.
【図版目録】より一部紹介
越前 加賀 ECHIZEN AND KAGA WARES
越前 三耳壺 福井県小浜市出土 13世紀 愛知県
Echizen ware :jar with three handles.Excavated at Obama-shi、Fukui.13th century.Height 34.7 cm. Aichi Prefectural Office
越前 甕 京都府由良川河口付近出土 嘉元四年(1306)重要文化財
Echizen ware:jar.Excavated near the estuary of Yura River,Kyoto.Dated Kagen 4 (1306). Registered as Important Cultural Property.
Height 34.3 cm.
越前 壺 福井県出土 13世紀 水野古陶磁館
Echizen ware:jar.Excavated in Fukui.13th century. Height 38.0 cm. Mizuno Museum of Old Ceramics.
(以下英文略)
越前 櫛目文甕 14世紀 福井県陶芸館
越前 甕 福井県武生市出土 13世紀
越前 三筋壺 福井県丹生郡宮崎村小曾原上長佐3号窯出土 12世紀 福井県
越前 壺 福井県小浜市出土 14世紀 愛知県
越前 大甕 福井県大野市出土 元亨三年(1323)箱根美術館
越前 壺 15世紀
越前 双耳壺 15世紀後半 福井県陶芸館
越前 四耳壺 16世紀 箱根美術館
越前 壺 福井県出土 15世紀後半
越前 おはぐろ壺 福井県丹生郡織田町法楽寺出土 15世紀初頭
越前 おはぐろ壺 福井県鯖江市石田出土 15世紀 水野古陶磁館
越前 おはぐろ壺 15世紀
加賀 壺 石川県小松市軽海町第十六号墓址出土 14世紀 小松市立博物館
加賀 大甕 石川県小松市牧口町出土 14世紀 小松市立博物館
越前 壺 15世紀
越前 櫛目文甕 14世紀 福井県陶芸館
越前 壺 13世紀
越前 壺 14世紀
越前 壺 福井県丹生郡織旧町法楽寺出土 14世紀 水野古陶磁館
越前 壺 福井県丹生郡織田町法楽寺出土 14世紀
越前 壺 12世紀
越前 壺 14世紀
越前 大甕 14世紀
越前 双耳壺 16世紀 福井県陶芸館
越前 擂鉢 福井県丹生郡織田町平等上大師谷東窯出土 13世紀 名古屋大学考古学研究室
越前 擂鉢 16世紀
越前 双耳壺 伝岩手県 16世紀
越前 双耳壹 16世紀
越前 四耳壺 16世紀
越前 四耳壺 15世紀
越前 四耳壹 16世紀 本多コレクション
越前 波状文四耳壺 16世紀 本多コレクション
越前 壺 16世紀 水野古陶磁館
越前 壺 16世紀
越前 壺 16世紀
越前 壺 16世紀
越前 壺 16世紀
越前 壺 15世紀
越前 壺 16世紀
越前 壺 16世紀後半
越前 壺 15世紀
越前 甕 14世紀 水野古陶磁館
越前 瓶子 16世紀
越前 壺 16世紀
越前 片口壺 16世紀 福井県陶芸館
越前 片口壺 16世紀
越前 壺 16世紀末
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 壺 16世紀 福井県陶芸館
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 おはぐろ壺 16世紀
越前 おはぐろ壺 16世紀 福井県陶芸館
越前 水注 15世紀
越前 火桶 16世紀
越前 桶 16世紀
加賀 壺 14世紀 東北大学考古学研究室
加賀 壺 石川県小松市牧口町 14世紀 小松市立博物館
加貿 壺 14世紀 本多コレクション
加賀 壺 石川県小松市戸津町出土 14世紀
加賀 擂鉢 石川県能芙郡辰ノロ町長滝経塚出土 14世紀
加賀 擂鉢 石川県小松市那谷町大天王谷1号窯出土 13世紀 小松市教育委員会
珠洲 SUZU WARE
珠洲 秋草文壷 石川県珠洲市寺家出土 13世紀 石川県立郷土資料館
Suzu ware :jar with autumn plant design. Excavated at Jike、Suzu-shi、Ishikawa.13th century. Height 31.3 cm. Ishikawa Prefectural Museum
of Local History.
珠洲 飛禽樹文壺 石川県珠洲市宝立町春日野法住寺出土 14世紀 石川県立郷土資料館
Suzu ware :jar with bird and tree design.Excavated at Hojoji、Kasugano、Horyu・cho、Suzu・shi、Ishikawa. 14th century. Height 20.7 cm. Ishikawa
Prefectural Museum of Local History.
珠洲 巴文壼 12世紀
Suzu ware :jar with tomoe (circle composed of comma shapes) pattern. 12th century. Height 53.5 cm.
(以下英文略)
珠洲 花瓶 石川県鳳至郡柳田村合鹿出土 13世紀
珠洲 四耳壺 石川県鳳至郡柳田村仏性寺出土 14世紀
珠洲 双耳壺 石川県輪島市町野町佐野出土 14世紀
珠洲 瓶子 石川県珠洲市上戸町永禅寺出土 13世紀
珠洲 浄瓶 石川県鹿島郡鹿島町久江出土 13世紀
珠洲 櫛目袈裟襷文壺 14世紀 本多コレクション
珠洲 櫛目波状文壺 石川県珠洲市宝立町橿原郷窯出土 14世紀
珠洲 人物文壺 石川県輪島市町野町西時国岩倉寺伝世 13世紀
珠洲 叩文壺 新潟県中頸城郡関山村関山神社経塚出土 13世紀 東京国立博物館
珠洲 刻文壺 14世紀
珠洲 櫛目波状文壺 14世紀
珠洲 櫛目波状文壺 14世紀
珠洲 櫛目波状文壺 石川県珠洲市宝立町橿原郷窯出土 14世紀
珠洲 櫛目文四耳壺 石川県能美郡辰ノ囗町長滝経塚出土 14世紀
珠洲 壺 14世紀
珠洲 四耳壺 14世紀
珠洲 四耳壺 石川県鳳至郡穴水町明泉寺出土 15世紀 明泉寺
珠洲 広口壺 13世紀
珠洲 壺 14世紀
珠洲 壺 15世紀 金蔵寺
珠洲 叩文壺 13世紀 能登集古館「南惣」
珠洲 叩文壺 岐阜県吉城郡国府町出土 14世紀 本多コレクション
珠洲 叩文壺 14世紀 本多コレクション
珠洲 叩文壺 14世紀
珠洲 叩文壺 14世紀 明泉寺
珠洲 大甕 伝世 13世紀 金蔵寺
珠洲 大甕 伝世 14世紀 能登集古館「南惣」
珠洲 擂鉢 石川県珠洲市宝立町春日野法住寺出土 13世紀
珠洲 擂鉢 13世紀 石川県立郷土資料館
珠洲 擂鉢 石川県珠洲市出土 15世紀
珠洲 甕 13世紀
飯坂 壺 福島市飯坂町天王寺経塚出土 12世紀 天王寺
亀山 叩文壺 岡山県倉敷市八島出土 13世紀 亀山神社
伊勢 三足壺 三重県鈴鹿市稲生町伊奈富神社伝世 嘉禎二年(1236)
飯坂 経筒 福島市飯坂町天王寺経塚出土 承安元年(1171)重要文化財 天王寺
lizaka ware : sutra case. Excavated from Tennouji Sutra Mound at lizaka-machi、Fukushima-shi. Shouan1(1171). Height 25.8 cm. Tennoui. Registered as Important Cultural Property.
(以下英文略)
飯坂壺 福島市飯坂町天王寺経塚出土 12世紀 天王寺
飯坂 擂鉢 福島市飯坂町毘沙門平古窯出土 13世紀 福島市教育委員会
飯坂 小壺 福島市飯坂町毘沙門平古窯出土 13世紀 福島市教育委員会
亀山 大甕 広島県福山市本庄出土 14世紀 福山城博物館
亀山 壺 広島県福山市芦田川河床出土 14世紀 広島県立誠之館高等学校
亀山 壺 岡山県久米郡福渡町大字川口字高井谷出土 13世紀 東京国立博物館
亀山 擂鉢 岡山県久米郡福波町大字川口字高井谷出土 13世紀 東京国立博物館
亀山 大甕 14世紀 万福寺
珠洲系 壺 新潟県中頸城郡関山村関山神社経塚出土 13世紀 東京国立博物館
珠洲系 擂鉢 新潟県中頸城郡関山村関山神社経塚出土 13世紀 東京国立博物館
経筒 岩手県和賀郡十二鎬町毘沙門山出土 12世紀 東京国立博物館
壺 京都府綾部市発山出土 13世紀 東京国立博物館
経甕 大分県下毛郡山口村大字田口宇山ノ下出土 元永元年(1118)東京国立博物館