★相撲画家 松岡リン パステル画「若い衆」リン・スターム・レビィLynn Sturm Levy
1982年
シートサイズ 37×25.5cm
状態 ほぼ良好
直筆サインあり
真作を保証いたしますので、万が一、贋作と鑑定された場合にはご返金いたします。
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作家略歴
松岡リン リン・松岡
リン・スターム・レビィ
Lynn Sturm Levy
リン松岡(Lynn Matsuoka)
1946年ニューヨーク生まれ。テンプル大学タイラー芸術学科で学び、1969年にフリーのコマーシャルアーチストとしてスタートする傍ら、視覚芸術学校でジャックポッタに師事。全米の著名雑誌やTVネットワークの仕事で、ニューヨークからフロリダ、カリフォルニアと移り、最後に東京に来て相撲を見い出した。1974年から相撲を学び、描くようになり、1980年の日本相撲協会のカレンダーは彼女の作品でつくられ、豪華画集「相撲の世界」も発刊。大相撲のポスターも手がける。現在ニューヨークにてスポーツや音楽をテーマとした作品を制作。彼女が描いた相撲作品は、相撲の歴史の記録としても貴重なものである。
作家サイト
https://hamptonsartist.com
著者「鬢付の匂い―相撲とわたし」
NHKアーカイブス「知られざる北の湖~昭和の大横綱 その素顔」
https://youtu.be/1up1T6r8nM8
1時間16分あたりに紹介されています。
私は1973年に、ある大会社の招待で日本にきた。当時の私には、日本や日本人について何の知識もなかったので、非常な苦労があった。6か月たって私が感じたのは、ただ国へ帰りたいということだけだった。
この日本という国と私の間には、抜き難い壁があるように思われた。そんな時、舟橋聖一氏の親切な紹介で、いろいろと相撲社会に接することがあり、相撲の稽古を見て、近くで写生する機会を持った。この経験は、友人の亡きイヴァンモリスが、日本に行けばそうなるだろうと予言したように、私の人生の転機となったように思う。相撲は私にとって、どこか神秘的で、ロマンチックで、まだわからないところがあるが、相撲の稽古のある朝ならいつでも、場所が開かれている日ならいつでも、見逃さないようにと私を惹きつける何かがあった。
最初の数年間、私はただ,"タタミ“に坐って見
守り、絵を描こうとするだけだった-なぜなら
私は、言葉がわからなかったので、見えるものを手に入れる以外になかったからだ。これはかえって、会話にまどわされないで、非常に良く見ることが出来たという点で幸運だった。もちろん、言葉の通じないことは、何かにつけて不便だった。話しかけて、相撲界の人々を理解することから、私を妨げたからだ。
私はいつも、みんなに尊敬の念を抱いてきた。彼らみんな、"お相撲さん“ はもちろん"親方“"行司“"呼出し“にもだ。私はいつも正しいことをしようと思ったのだが、私には何が正しいことなのかわからなかった。それでずいぶん、 "トンマ“なことをやらかした。幸運なことに、時々、親切な親方とか相撲取、行司とか呼出し、時には部屋頭が、私が悲嘆にくれているのを見て、進んで助けの手を差しのべてくれた。
相撲の世界は、輝かしい土俵や、相撲取の雄大な姿をはるかに超えたものなのである。それはうきうきした心と打ちひしがれた心、文字通りの悲劇と喜劇、人間の限界ぎりぎりまでの忍耐、誕生と死を包含する人生だ。古い仕来りが支配している世界だが、その周縁を、現代世界がむしばみつつある・・・。
相撲は私に、偉大な仕事と人生への愛をもたらしてくれた。どこかもわからないような片田舎の巡業先の土俵のそばに、凍り付いたように坐り込んで私は、もうこのまま死んでもいいと感じたことが何度かあった。
とても名状し難い美しさと芸術的な満足感が、私の人生を包んでいた。それは相撲が、これ以上何も必要としない程に満ち足りたものだからだった。私がそばにいることを大
目に見てくれ、時には実際に私に援助してくれたりし、私の人生に意義を与えてくれたこの相撲界の、あるいはその周囲の、すべての親切な人々に私は、感謝の印として、何かすばらしいことをしたいと願っている。
私は初心者、彼等の言う "タマゴ“のような感
じでいる。私はこれからもこの仕事を続けて、多くの人々にとって価値ある仕事が出来るまで、努力を積み重ねていきたいと願っている。
特別なる感謝を、ベースボールマガジン社社長、池田恒雄氏に捧げたい。この画集は氏の案から生まれたものである。
リンスタームレビィ
1980年7月 ニューヨーク市にて