大阪府と奈良県の県境に鎮座する。 創建1400年以上(用明天皇2年)聖徳太子開山の古寺、
「信貴山朝護孫子寺」の
36年に一度の限定御朱印帳です。
信貴山朝護孫子寺
聖徳太子(厩戸皇子・うまやどのみこ)が物部守屋の討伐に際し、本山にて戦勝祈願をすると、
太子の眼前に毘沙門天王が顕現なされ、必勝の秘法を授かり、その加護で見事戦いに勝利。
ここから、仏教の国教化が進められていきます。
この降臨された時が、寅年、寅の月、寅の日、寅の刻だった事に因み、当寺の神使(神仏習合)は寅である。
この最強開運日の真価を象徴する逸話と言えます。
五黄の寅年、寅の刻
「五黄の寅」とは古代中国の民間信仰”十二支”と”九星”(きゅうせい)を組み合わせたものであり、
九星の五黄土星と十二支の寅が重なり合った年で36年に一度しか巡って来ない。最強の金運上昇年です。
しかしここで終わりません!
さらに寅の刻(午前三時~五時)に参拝することで、その力は最高潮に達します。
これにより、勝利の開運、福徳の金運は最強となり、その効果は先の聖徳太子の物部氏征伐から、日本の信仰の在り方さえ
変わって言った事で歴史が既に証明しています。
「七箇の善日(ななこのぜんにち)と十干十二支、六曜
天赦、天恩、月徳、甲子、大安
天赦日(てんしゃにち)
一年に僅か数回しかない日本の暦で最高の吉日。
この日は、百神が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、最上の大吉日である。そのため、
天赦日にのみ「万(よろづ)よしと言われる。
天恩日(てんおんにち)
”天の恩恵を受ける日”とされ、その福徳は5日間続く言われる。
又、この日に金運に関わる寺社仏閣に参拝すると、金運が上昇すると言われる大金運日。
月徳日(がっとくにち)
”宝暦暦」”にその起源を持ち、「その月の福徳が得られる日」として万事良日とされる。
甲子の日(きのえねのひ)
十干十二支で60日周期で一番最初に来る日。
万事の起源になる吉日とされ、故にこの日に初めた事は長続きし、行動を起こすと運気の流れが良くなるとされる。
大安
古代中国占星術”六曜”における万(よろず)よしの最良日
毘沙門天王
ヴェーダ朝時代から存在するインド神話古代神ヴァイシュラヴァナを前身とする、仏法守護の天部衆四天王にして
言わずもがなの七福神が一柱。
戦国大名や時の権力者の信仰は特に篤く、豊臣秀吉や、かの有名な上杉謙信は「北方の守護者」としての神格にあやかり、自らを朝廷の北方の守護者と名乗り、南北朝時代の英雄、楠木正成はその幼名を毘沙門天の別称「多聞天」に因んで多聞丸と名付けられた。
信貴山は毘沙門天王が日本で最初に御出現なされた霊地であり、毘沙門天信仰の総本山である。
銭亀善神
毘沙門天王の御神使で日本で唯一、当寺だけで祀られる、金運招福の善神。
千手院貫首が山岳錬行大峯山にて瞑想の折、その霊夢の中に黄金の甲羅の亀の背に乗った貴神が顕現し、
「吾れ、諸人の求不得苦(ぐふとく:求めても得られぬ苦しみ)安じる善神なり。帰依する者、必ず証得せん。」とお示しになり、
当寺の千手院が創建されました。
この院を参拝した方から、宝くじ1等当選者が続出し、感謝状は後を絶ちません!!
山にて瞑想の折、その霊夢の中に黄金の甲羅の亀の背に乗った貴神が顕現し、「吾れ、諸人の求不
当方は、この御朱印帳を手に入れるため5年以上の歳月を掛けて、万難を排し準備して、当日に事に及び、
前日の夜の夕刻から全ての準備を整え、当日の寅の刻の30分前には当地に到着。寅の刻最初に本殿参拝後、各参拝箇所を廻り、
寅の刻中に参拝完了後、各御朱印の授与を行ないました。
本年の最後の大開運日で、只でさえ五黄の寅年で金運が最高潮になる年の
吉日五つ重ねは、最早これ以上が存在せず、その上で、干支の神使を祀る、
七福神が一柱の神地で、日本で唯一の金運の神様の加護を受け、あまつさえ
寅の刻まで引用し、刻(とき)の加護さえ味方に付けた最強金運、開運御朱印帳です。
36年に一度しか来ない大開運金運上昇日は、大体この事に気づけるのが、成人してからとして、恐らく参拝、御朱印帳の拝領は
一生に一度ではないでしょうか?
次に機会が到来するときは、もう高齢者ですからね。
一生に一度だけのチャンスを私は掴み、その幸運を銭亀善神様の言われる
”求不得苦”に悩む方の為、誰かにお裾分けできたらと考え今回もう一式用意致しました。
あなたはどうしますか?
中々予定が合わず行けない方の為にしっかり祈念して来ました。この機会に如何ですか?
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