※絶版
秋月の地誌郷土史。古文書その他の著書、旧秋月藩時代を知る古老の口伝などを整理分類、
史蹟、社寺、人物、事変、制度、諸事、風俗、景勝、総合の九編として紹介したもの。
目次は一部を商品説明文にて紹介していますが、詳しくは画像をご覧ください。
昭和26年刊行本の復刻版。本文は刊行当時の旧字・旧仮名遣い。
出品は本のみです。附図はつきませんが、情報満載の今となっては大変貴重なすぐれた資料本です。
【序文】
豊薩軍記に記すところによれば、豊臣秀吉は自ら二十五万の大軍を率るて筑前国古所山を越え(実は八丁越を越えたのであらう)、天正十五年四月五日秋月種実の邑城荒平に入り、古所山を見るに、「岩壁高く聳へて雲親四に囲み、九折なる細道一條を登る事十余町然も岩角滑かにして谷深し。実にも此山九州第一の嶮難にて、秋月一族及び隣国の者ども数万人相集て一支して見んと思ひしも理りなり云々」とある。秋月の要害斯の如くであればこそ黒田家封を分つに当り、長政最愛の三男長興をして此処に居城せしめたのも、実にもと思ひ合はされるのである。
秋月藩は石高五万石の小藩ながら、始祖以来、藩政大概ね宜しきを得、小ぢんまりとして、士は文武に励み、民は良田を耕し、風俗良く言語美しく、殊に城下秋月の地は江川安川一帯の地と共に、山秀で水清く、詩人淡窓をして「何ぞ能く一日も詩なかるべけんや」と詠嘆せしめた勝地であつて、此処に詩人原古処父子、学者吉田平陽、中島衡平、志士戸原卯橘、海賀宮門、等を輩出せしめて居る。わたくしは隣村安川の生れであるけれども幼少の頃から秋月の地を慕ひ、秋月に遊ぶのを無上の樂みとし、本書の著者田代政栄氏等とも、八幡宮の絵馬堂などで鬼ごっこをして遊んだ少年の日を、今もなつかしく記憶して居るのである。
その後わたくしは青壯年時代をほとんど近畿地方で過ごし、齢六十を過ぎてやうやく郷里に近い福岡に帰って来たのであるが、懐かしい郷里の古往今来を語らうにも、古老は既に皆鬼籍に入り、竹馬の友すら今はまことに家々たる有様で、心の寂寥を如何ともすることが出来ないで居た。青年は未来を夢み、老人は過去を追ふ、わたくしもさういふ世間並の老人の例に漏れず、過去の秋月を思ひなつかしむ情に於て、恐らくは人後に落ちないであらうと思ふが、たゞ往事を共に語る人なきとき、せめて記録や書籍によつて、郷里の古人を偲び、むかしのくさぐさを知つて楽みたいと思ふのだけれど、懺むらくはいまだ手ごろの書籍あるを知らず、誰かさういう書籍を編む者はないかと、心ひそかに求めて居た折も折、図らずも竹馬の親友田代政栄氏が、多年の研究による蘊蓄を傾けて秋月史考を著され、史蹟、社寺、人物、事変、制度、諸事、風俗、景勝、総括等に亘り、巨細漏さず網羅按配して一冊にまとめ、之を世に公にせらる、ことは、空谷の跫音以上に欣快の事であつて、雀躍を禁じ得ないのである。
論語に「温故知新」といふ語がある。温故の訓みかた並に意義について異説もあるけれども通説は「ふるきをたづね新らしきを知る」である、故き事を尋ねてその中から新らしきものを発見するのてある。秋月に生れ育つた傑れた人々の事蹟言行をたづねて感激奮起するならば、それも温故知新の意に通ふものがあるであらう。秋月の古き制度のうちに、今もその精神を取り、形を変へて応用し得るものを発見するならば、之も亦一種の温故知新であらう。田代氏の秋月史考が、それらの新らしきものを与へるかどうか。それはむしろ読む人の読みかたによるのであらうが、わたくしは田代氏のこの好著が、ふるき秋月を今日に生かし、将来に生かす所以であることを思ひ、わが秋月の為に、田代氏に、限なき感謝の情を寄する者である。
昭和廿六年四月六日 福岡市別府の寓居にて 花田大五郎
凡例
一、記載の範囲は秋月町、安川村、上秋月とし所謂旧時秋月と称したる地域とす。
二、記述は主として古文書、其他の著書、口伝を其儘列記し、編者の私見は実証あるもの、外断定的言をなさず、後人に誤り伝へざる様にせり。
三、記事は分類して史蹟、社寺、人物、事変、制度、諸事、風俗、景勝、総合の九編とせり。
四、史蹟の調査は非常に困難にして短期間に完成するものにあらず。余古稀の齢を迎へ余命短かく唯郷土史調査の端緒を開きたるのみなれば願くば後継者ありて、此事業を完成されん事を祈りてやます。
五、各事項毎に記せる拙作の漢詩は、詩の本来よりすれば実に拙の又拙なるものなれども、事柄を短字句の中に言現すを主としたれば、詩外の詩と心得べきものなり。又一般の人にも読易き様努めて平易なる字句としたり、従つて作者としては構想に適切なる字句を使はざるもの多きを遺憾とするもせんなし。
六、猶ぼ事足らぬ所、脱落の事項につきては後日補遺追加の時期あるべし。
七、何年前と記せるは昭和二十五年より起算したるものなり。
八、各部に分ちて編纂したる為め事蹟の重複記載の止むなき点は諒せられたし。
九、引用文献は殆んど原文其儘を記載せる為め読み苦しき点あるはせんなし。
一〇、各編記載の序列はなるべく観光の順路とせん心なりしも、後より挿入其他の関係より其順を乱したる所多し。
【目次】より一部紹介
第一編 史蹟
秋月の地名 秋月の地勢 秋月城趾 垂裕神社黒門 杉の馬場 虚空坂 稽古館阯 荷持田 皿山跡 后の森 古処山城趾 奥院 涙坂 稚兒忘 太閤石 ほか
第二編 社寺
一、社祠
八幡宮 垂裕社 湊川社 為朝社 金毘羅社 淡島宮 豊山社 左近社 赤岩宮 老松宮 須賀社秋月 天満宮秋月 白木社上秋月 大山祇社 白山上宮 白山下宮 諏訪社秋月 稻荷社秋月
宮地嶽社 稲荷社 白木社 旱魃雨乞祈?神社 ほか
二、仏閣
日照院 長生寺 大凉寺 淨覚寺 古心 寺 西福寺 西念寺 本証寺 大安寺 普明院 惠観院跡 白雲庵 東光院 毘沙門堂 観音堂長谷山 ほか
第三編 人物
贈正四位黒田長興 贈正四位黒田長舒 黒田長元 惠利暢堯夫妻 惠利暢武 興勝善入 角田元明 繁沢房種 星野廓庭 贈正五位原古処 原白圭 ほか
武芸 田代外記 首藤?知右衛門 藤田仲智規 間角彌 海賀藤藏 磯流水 遠山維德 西川希水 ほか
篤学 江藤東一郎 近藤利美 三隅建之進 渡邊典然 ほか
国学 宮永保親 大倉種敎 小幡氏常 江藤正澄
政事、杏林、孝義、其他
第四編 事変
島原陣
戦役起因 初の戦爭 黒田勢出陣 二月廿一日の夜襲 二月廿七八日の総攻撃 戦役の始末
外防備
戊辰の役
百姓一揆
秋月之乱
起因曰 秋月に於ける初の戦闘 豊津の戦闘回 第二次秋月に於ける戦闘国 戦後の情勢
臼井仇討
遭難 仇討迄の経過 復讐後の情況
各戦役の戦死病歿者 島原陣、明治維新前 佐賀之役 熊本之役 秋月之役 福岡之役 西南之役 日清之役 台湾之役 日露之役出、上海事変 太平洋戦役
第五編 制度
一、藩政時代.
長興公御代始覚書 長政公御讓 長政公御書置
秋月藩知行割 五万石分知高 御附人と知行
諸侯之列に入る秋月藩主 経過次第、三艘船の由来記
士卒の階級
家格(士分、卒) 馬廻 無足 組外 陸士 郡方下 足軽
新年参賀階級
職制
庄屋制
勧学 藩学 私学
尚武
通貨 共通の通貨 秋月紙幣 偽札
明治以降
職制 藩治職制口、職制官等 兵制
版籍奉還と廃藩置縣
版籍奉還口、食祿定へ、廃藩置縣
秋月縣庁廃止 秋月出張所役員
戸籍法制度
税法制度
神仏分離
縣令宮巡視
町村制
沿革梗概口、歴代町村長
教育制度
通信業務
農業組合
公民館
森林組合
第六編 諸事
一、諸小路
御堀の向 御館前の松 内馬場 杉の馬場 鷹匠町 原小路 浅ヶ谷兜堀 小原小路 野鳥 凱陣小路 門無小路
舛形 中小路 四小路 六軒屋 三つ小路 新小路 通り町 虚空坂 橋口
二、?業由来
元結鬢付 製紙 葛粉 紫金苔 蚕業 林業 石灰、石粉 木炭、薪
三、天災、地変
延宝年間 天和年間 貞享年間 元祿年 ほか
四、雜事 坂口、諏訪、末次諸家 天狗倒附夕立、龍尾車、雪、底霧 ほか
第七編 風俗
一、衣服
裾細 長上下附半上下 白羽織 足袋 被風 袖無羽織 縫箔 婚礼乘物 屏風 婚礼制度 振袖 形付ゆかた 在方の着物 ほか
二、食 猪鹿 銘酒 砂糖 小谷柿 煙草 牛肉
三、髪 在方髮飾 医者の髪 断髪廃刀令
四、器具 硯蓋附丼鉢 堤 広蓋 手塩 下駄傘附 雪駄 ?羽織紐 提灯 乘駕大小拵 医師帶刀
五、住宅 長屋門 障子腰 石垣 材木 住宅樣式 秋月地方唯一の古き住宅
六、方言 二百二十四語
七、其他 槍持 端午昇 奧樣唱 機織 お前様 新造女中礼儀
八、冠婚葬祭 冠婚葬祭 相続
九、年中行事 年頭行事 五節句(人日 上巳 端午 七夕 重陽)
其他行事(節分 初午 涅槃会 彼岸灌仏会 お獅子入 八朔節句 中秋 神あるき 亥子祭 冬至) ほか
明治大正時代の祝祭日
昭和終戦後の祝休日
旧藩時代の藩主の日常起居
第八編 景勝
古処山布織滝 古処山溪 馬場 禽川 穎川 蟻峰 江川渓谷 両筑春望 飛来連山 近郊 龍山 名勝十二景 ほか
第九編 総括
一、秋月氏 祖先 系図 家臣
二、黒田氏 祖先 系図
三、時代年表
神功皇后事蹟 伝教大師事蹟 秋月氏時代
四、黒田氏時代 国、明治維新以降
写真
題字
序文
緒言
引用参考書
※巻尾附図は付属しません