豪華大型図録本 茶碗 第一巻 中国・安南 原寸大写真集 曜変天目茶碗他 作品集
小山冨士夫 監修
平凡社 発行
昭和49年初版3刷
361ページ
布張り函入 布張り上製本
38x31x4cm
作品写真図版フルカラー 解説図版モノクロ
※絶版
唐物茶碗を代表する中国・安南の名碗のフルカラー実物大写真を53点収録。
唐物茶碗のうち曜変天目茶碗、油滴天目茶碗、さまざまな天目茶碗、青磁茶碗、絵高麗茶碗、赤絵茶碗、染付茶碗、古染付茶碗、祥瑞茶碗、安南茶碗、国宝・重要文化財をはじめとする、
大名物・中興名物など、滅多に見ることのできない個人蔵の作品を含む、唐物最高峰の名品ばかりを集めた大型愛蔵版図録本。
箱書き、見込みなどの写真他も参考図版とした各茶碗の見どころの詳細な解説、唐物茶碗についての断面図も含めた概説。
写真図版も解説図説も内容充実、茶道具、古美術、茶道家、茶道学習者、骨董品愛好家必携の大変貴重な資料本です。
平凡社の豪華愛蔵版大型図録本「茶碗」全5巻のうちの一冊。
【凡例より】
本巻は、平凡社刊『茶碗』全五冊(中国・安南、朝鮮一、朝鮮二、日本一、日本二)のうち、「中国・安南」とする。収録した茶碗は五十三点、唐物茶碗のうち天目、青磁、絵高麗、赤絵、染付、古染付、祥瑞、安南にあたる。
原色図版は、原則として側面と高台を、見開きで掲載したが、見込みに特にみるべきものある場合には、側面の代わりに見込みを使用した。
原色図版は、原寸大を原則としたが、高台は、視覚的安定をうるためにいくぶん小さめにした。
図版配列の順序は、古来知られたものを先にしたが、品等による位づけは行なっていない。
付属品および書き付けのうち、とくに重要と認められるものは、参考図版として解説欄外に掲載した。
所蔵者名は、博物館、美術館のみを記載し、個人の所蔵者名はこれを省いた。
【目次 フルカラー】
曜変天目茶碗 一名 稲葉天目茶碗 静嘉堂
曜変天目茶碗 藤田美術館
曜変天目茶碗 竜光院
曜変天目茶碗
油滴天目茶碗
油滴天目茶碗
油滴天目茶碗 根津美術館
油滴天目茶碗
油滴天目茶碗 一名 星建盞 徳川美術館
油滴天目茶碗 一名 星建盞 徳川美術館
油滴天目茶碗
油滴天目茶碗 徳川美術館
白覆輪天目茶碗 藤田美術館
油滴天目茶碗
油滴天目茶碗 竜光院
油滴天目茶碗 藤田美術館
禾目天目茶碗
禾目天目茶碗
灰被天目茶碗
灰被天目茶碗 徳川美術館
黄天目茶碗 銘 沼田
黄天目茶碗 徳川美術館
黄天目茶碗 一名 虹天目茶碗 藤田美術館
葺天目茶碗
金彩文字天目茶碗
玳皮天目茶碗
竜天目茶碗
鸞天目茶碗
蛾皮天目茶碗
梅花天目茶碗
蛾皮天目茶碗 徳川美術館
木葉天目茶碗
木葉天目茶碗 五島美術館
青磁茶碗 銘馬蝗絆
青磁茶碗 銘 満月 藤田美術館
青磁茶碗 銘 雨竜 鹿苑寺
珠光青磁茶碗 出光美術館
青磁茶碗 人形手
青磁茶碗 銘 老友
絵高麗茶碗
絵高麗茶碗 根津美術館
赤絵茶碗 馬上杯
赤絵茶碗 鉢の子
染付 鉢の子
古染付
呉須山水 畠山記念館
祥瑞水玉 根津美術館
祥端 沓 藤田美術館
祥瑞 沓
安南茶碗 絞り手 根津美術館
安南茶碗 絞り手 銘 廿日月 徳川美術館
紅安南茶碗 徳川美術館
紅安南茶碗
解説 小山冨士夫 佐藤雅彦 長谷部楽爾 林屋晴三 藤岡了一 満岡忠成
概説 藤岡了一
【解説より 一部紹介】
一 曜変天目茶碗(一名 稲葉天目茶碗)大名物 国宝 静嘉堂
高さ/口径/高台外径/高台高さ 記載
一般に、稲葉天目の名で知られる、曜変中の曜変、天目の王者ともいうべき名碗である。
器形は正しい建盞形で、総体に引き締まった気分があり、特に高台の作りは、類例のないていねいなものである。高台内を、浅く平らに削り、蛇の目状の高台に仕上げてあるが、少しのゆがみもなく、それだけでも特別の上作であることが、はっきりわかる。素地は、比較的きめが細かく、堅く焼き締まり、黒ずんだ灰かっ色で、鈍い光沢がある。器の内外に、光沢のある黒釉がたっぷりとかかり、口縁の釉が流れて灰色を帯び、見込みと裾に、厚い釉だまりがみられるのは、建盞の尋常の姿である。内面一面に、星紋と呼ばれる大小さまざまの、まるい斑紋が不規則に散在し、それらをめぐって、きらきらと輝く光芒が、夢のように明滅して、つややかな黒い釉面を、絢爛たるものにしている。いわゆる曜変現象であって、『君台観左右帳記』の記述に、「濃き瑠璃、薄き瑠璃の星、ひたとあり」云々とあるのに、よく符合する。見込みのあたり、ある幅をもった青白い輪形の輝きのうちに、星紋がびっしりと浮かんでいるのは、とりわけて玄妙な趣である。外側は、おおむね漆黒であるが、数か所に青く光る斑紋がみられる。このような曜変現象については、山崎一雄氏の詳細な研究がある。それによると、微細な結晶群と、釉上に生まれた一万分の一粍という、非常に薄い皮膜によるものと推測されているが、それらの成分については、まだ全くわかっていない。
この茶碗は、元和・寛永のころから、代々幕府の重職をつとめた、淀の稲葉家に伝わったもので、稲葉天目の呼称は、これによっている。『玩貨名物記』に「ようへん 稲葉美濃殿」『古今名物類聚』に「ようへん 稲葉美濃守」としてあげられているのは、まさしくこの茶碗である。その以前の伝来については、手がかりがないが、あるいは柳営御物であったものを、稲葉家が拝領したのではないかともいわれている。
維新後も、稲葉家に秘蔵されていたが、大正七年、同家を離れ、小野哲郎氏の所蔵となった。その入札にあたって、当時としては記録的な、十六万八千円の高値を呼んだことは、長く語り草となっている。その後、岩崎家に移り、岩崎家から静嘉堂文庫に移管されて、今日にいたっている。
袋 白地大唐草模様緞子
金地二重蔓金襴
内箱 春慶塗り 貼り紙「耀変」
外箱 黒漆 青貝文字「耀変」
天目台 黒漆尼崎台 真鍮覆輪
昭和二十六年六月、新国宝に指定されている。
(長谷部楽爾)
【概説より 一部紹介】
天目・青磁・絵高麗・赤絵・染付・古染付・呉須・祥瑞・安南絞り手・紅安南
喫茶のふうが、中国大陸からはじめて伝わってきたのは、 いつごろのことであろうか・正史では平安時代の初め、弘仁六年に近江梵釈寺の僧永忠が、 嵯峨天皇に茶を煎じ奉ったのが最初の記事で、まもなく畿内をはじめ、近江、 丹波、 播磨などの国に茶を植え、 毎年これを献ぜしめたと伝えている。また当時、朝廷貴族の間で流行した漢詩には、喫茶の風趣をうたったものが、たびたび見られるところから、平安初頭、貴族や僧侶の間では、すでに茶が、かなり流行していたことが推察され、唐代喫茶のふうは、少なくとも奈良時代の末期には、伝わっていたと想像される。
喫茶のふうとともに、唐のもろもろの茶器類がもたらされたことも、また容易に想像されるところである。特に茶碗は、最も密接で重要な器であり、当時わが国では、それに当てるべき美碗は、とうてい造れない時代であったから、当然、かの地の茶碗が賞用されたにちがいない。唐の陸羽の『茶経』によれば、当時の茶法は団茶を粉末にし、これを熱湯に投入して、かきまぜながら煮る法で、その茶湯の色は、丹紅色であった。したがって、これを茶碗に酌んだ際、その茶碗の色によって、茶の色の美醜が決まるわけで、このためには、越州窯の青磁碗が第一等とされ、 白磁では、ケイ州窯の碗が天下に通用して、越碗と並び称されていた・こうした青磁、 白磁の茶碗が、わが国にも多く将来されたことは、当時の文献に、 青磁、 白磁の茶碗の記録が、 しばしば出てくるところから推し量れるし、実例としては、 零細ながら、 法隆寺の近傍からケイ州窯と思われる白磁の碗、また滋賀県の大津京址のあたりから、 同じく白磁の碗片が出上しており、 さらに尾張の猿投窯では、越州窯の碗鉢類を、模倣した事実が明らかである。ただその後、「茶碗」という語は、中国製青磁、白磁の代用語として使われるようになり、たとえば青茶土完、白茶土完の瓶壺、あるいは茶土完の硯、茶土完の枕などの文字が、古記録に認められるのであるが、このことは、当初、中国より青磁、白磁の茶碗が、おびただしく将来され、賞用されたことから、終いに陶磁を意味する慣用語になったものと、考えられるのである。この用語は、長く室町時代まで続いて、かの『君台観左右帳記』にも、「茶坑物」と「土之物」の項目が設けられてあり、前者には青磁、白磁を、後者には各種天目が記載されている。
ところで、中国では唐の衰亡とともに、唐ふうの茶はすたれ、五代から宋代になると、宋ふうの茶が興る。そして、わが国でもこれに応ずるように、平安中期ごろより、だんだんと唐ふうの趣味的な茶は忘れられ、茶は主として薬用か、朝廷の、特殊な儀式に用いられる程度になった。唐茶の旧法が、茶葉を蒸したのち、膏をしぼらず、ただこれを臼で搗き、型に入れて拍ち固めて団茶とし、その粉末を熱湯に投入して、その紅い煮茶をくむ法であったのに対して、新しい宋茶の法は、蒸した茶葉を強く圧搾して、揉みならし、またくり返し圧搾して、その膏をことごとく去り、乾浄の極、その色が乾いた竹葉の色」、すなわち、かすかな青みのある白色となるまで、圧し固めて餅茶にしている。特に飲み方は、餅茶を砕きをいて細粉末とし、茶碗にそれを入れた上に熱湯を注ぎ、湯をつぎ足しながら、茶筅で強く撹拌して泡だたせる、いわゆる抹茶の法で、わが国の抹茶は、これに則ったものである。このような茶法では、茶の色は、一面に泡だつ白色となる。そして、この茶の白色を引き立たせるためには、旧来の青磁や白磁では調子が合わない。ここで新しく黒い茶碗が要望され、その第一に福建の建盞-建窯の茶碗-が生まれ、重用されるにいたったのである。北宋、蔡襄の著わした『茶録』は、この間の消息を明らかにしているもので、「茶の仏」が白いゆえ、黒い茶碗がよろしい。建安で今造っている茶碗は紺黒色で、兎毫、すなわち兎の…(以下略)