ブラクラ妄想小説タイトル:『星屑のデギュスタシオン』
第一章:星屑のプレリュード
古都の片隅に佇むフレンチレストラン「L'toile filante(レトワール・フィラント)―流れ星」。その厨房は、若き副料理長、青井葵(あおい あおい)の戦場であり、聖域だった。艶やかな黒髪をきつく結い上げ、純白のコックコートに身を包んだ彼女は、真剣な眼差しで食材と向き合っている。立ち昇る湯気、リズミカルな包丁の音、ソースの焦げる香ばしい匂い。その全てが、葵の日常を彩る音楽だった。
「葵さん、今日のランチのポワソン、ソースの濃度、もう一度確認してくれる?」
料理長の片桐雅(かたぎり みやび)が、冷ややかな声で指示を出す。雅は葵より五歳年上だが、その実力は葵の方が上だと噂されていた。そのせいか、雅の葵に対する態度は常に棘を含んでいる。
「はい、シェフ」
葵は短く返事をし、手早くソースパンにスプーンを入れた。舌の上で転がすと、魚介の旨味とハーブの香りが複雑に絡み合う。完璧だ。しかし、雅は葵の差し出したスプーンを無視し、自ら味見をして眉をひそめた。
「…まだだるいな。もう少し煮詰めて。それと、付け合わせの野菜、火を通しすぎ。客に出す前に気づかないなんて、プロ失格よ」
葵の胸に小さな棘が刺さる。雅の指摘は的を射ていることもあれば、単なる嫌がらせとしか思えないものもある。今日も後者だろう。だが、葵は反論せず、黙って頷いた。ここで感情的になれば、思う壺だ。彼女は、いつか自分の料理で雅を、そして世界を認めさせる日を夢見て、日々研鑽を積んでいた。
そんなある日、レストランに一人の男が現れた。黒に近い濃紺のスーツを纏い、物静かな佇まいながら、どこか人を惹きつけるオーラを放っている。名を、榊蓮(さかき れん)といった。彼は決まってカウンターの隅に座り、葵の作る料理を静かに味わう。多くを語らず、ただ、料理を口に運ぶたびに、その深い瞳が一瞬、星のようにきらめくのを葵は何度か目撃していた。
蓮は週に二、三度訪れるようになった。彼はいつも葵が考案した「本日のおすすめ」を注文する。それは葵にとって、ささやかな喜びであり、同時に緊張をもたらす瞬間だった。彼の前では、どんな些細な手抜きも許されない気がした。
ある雨の夜、客足も途絶え、葵が厨房で新作デザートの試作に没頭していると、不意に蓮が声をかけてきた。
「今夜の魚料理、素晴らしかった。特に、あの柑橘のソース。まるで、初夏の陽光を閉じ込めたようだった」
その声は低く、心地よく響いた。葵は顔を上げ、思わず彼を見つめた。いつも無表情に近い蓮が、穏やかに微笑んでいる。その笑顔は、まるで魔法のように葵の心を解きほぐした。
「ありがとうございます…榊様」
「蓮、でいい。君の料理には、いつも驚かされる。素材の声を聞き、それを最大限に引き出す力がある」
彼の言葉は、どんな賛辞よりも葵の心に深く染み渡った。厨房での孤独な戦いの中で、初めて理解者を得たような気がした。汗ばんだ額、少し乱れた後れ毛、ソースが小さく跳ねたコックコート。そんな自分の姿が急に恥ずかしくなり、葵は頬を染めた。
その数日後、レストランのオーナーであり、葵の師でもある源三郎(みなもと さぶろう)、通称源さんから、葵にとって大きなチャンスが与えられた。来月開催される、市の食文化振興イベントでのメインディッシュの担当だ。「レトワール・フィラント」の看板を背負う大役だった。
「葵、お前に任せる。お前の料理には、人を感動させる力がある。思い切りやってこい」
源さんの温かい言葉に、葵は奮い立った。しかし、その話を聞いた雅の表情は、嫉妬と焦燥で歪んでいた。
イベントまであと一週間と迫った日、事件は起きた。葵がコンテスト用に開発したメインディッシュ「森の恵みと海の輝き~二重奏のテリーヌ~」の試作を重ねている最中だった。複雑な工程と繊細な温度管理が要求されるその料理は、葵の自信作だった。少し席を外した隙に、何者かが冷蔵庫に保管していたテリーヌの型をひっくり返し、仕込み中のソースの火加減をめちゃくちゃにしていったのだ。
「…そんな…」
厨房に戻った葵は、目の前の惨状に言葉を失った。床に散らばる無残なテリーヌの残骸。焦げ付いたソースパン。それは、葵の努力と情熱を踏みにじるような光景だった。震える手で顔を覆う葵の背後から、雅の冷笑が聞こえた。
「あら、大変ね。でも、仕方ないわ。実力不足だったってことよ。イベントは私が代わりに出るから、安心して」
悔しさと絶望で、涙が溢れそうになる。しかし、葵は唇を噛み締め、必死に堪えた。こんなことで、諦めたくない。
その夜、閉店後のレストランで一人、呆然と片付けをする葵に、蓮が近づいた。彼はいつものようにカウンター席にいたが、その日は何も注文せず、ただ静かに葵を見守っていた。
「…大丈夫か?」
蓮の声に、堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。みっともない、と思いながらも、涙は止まらない。蓮は何も言わず、葵の傍らに立ち、そっとハンカチを差し出した。
「君の料理は、まるで夜空に輝く星のようだ。一つ一つが個性を放ちながら、見事に調和している。今日のことも、きっと乗り越えられる」
蓮の言葉は、不思議な力で葵の心を温めた。彼は小さなベルベットの箱を取り出し、葵の手に握らせた。
「これは…?」
戸惑いながら箱を開けると、中には小さなペンダントが入っていた。それは、K18イエローゴールドの繊細なサークルの中に、雪の結晶のようにも、星の瞬きのようにも見えるデザインでダイヤモンドが散りばめられている。中央には0.52カラットはあろうかという存在感のある石が鎮座し、その周りを小さなメレダイヤが取り囲んでいる。光を受けるたびに、それは筆舌に尽くしがたい、複雑で奥深い輝きを放った。全体の直径は11.23mmほどだろうか、小ぶりながらも確かな存在感を主張し、重さはわずか1.48gと、着けていることを忘れさせるほど軽やかだ。しかし、その輝きは魂を揺さぶるような強さを持っていた。ペンダントの裏には小さく「F4192」という刻印が見えた。
「星は、暗闇が深いほど、より強く輝く。君もそうだ」
蓮はそう言うと、葵の首にそっとペンダントをかけた。ひんやりとした金属の感触と、ダイヤモンドの微かな重みが、葵に現実感を取り戻させた。それはまるで、夜空からこぼれ落ちた星のかけらのようだった。
「これは…あなたが?」
「僕がデザインしたものだ。君に、似合うと思って」
彼の指先が、葵のうなじに触れ、微かな電流が走った。彼の瞳は、今まで見たことがないほど優しく、そして熱っぽく葵を見つめていた。その眼差しに、葵は自分の鼓動が早鐘を打つのを感じた。厨房のステンレス台に反射する裸電球の光が、二人の間を曖昧に照らし、まるで二人だけの秘密の空間を作り出しているかのようだった。蓮の指が、ペンダントのチェーンを直すふりをして、葵の首筋をそっとなぞる。その瞬間、葵の体温が一度上がり、吐息が甘く漏れそうになった。
第二章:秘めたるパッション
蓮から贈られた星屑のようなペンダントは、葵にとってお守りになった。その輝きを胸に、彼女は不眠不休でテリーヌの再構築に取り組み、イベント当日、見事な一皿を完成させた。審査員たちは、その独創性と完成度の高さに舌を巻き、葵の料理はグランプリに輝いた。雅は悔しげに唇を噛んでいたが、葵はただ、静かに微笑むだけだった。
グランプリ受賞後、葵と蓮の距離は急速に縮まった。蓮は相変わらず「レトワール・フィラント」に通い続け、葵は彼のために特別な一皿を用意することもあった。二人で食材の買い出しに出かけたり、休日に美術館を訪れたりすることもあった。蓮の博識ぶりや、時折見せる少年のような無邪気な笑顔に、葵はますます惹かれていった。しかし、蓮は自身の過去について多くを語ろうとしなかった。彼が有名なジュエリーデザイナーであること、そして「F4192」という刻印が、彼が手掛けた作品のシリアルナンバーであるらしいこと以外、葵は何も知らなかった。そのミステリアスな部分もまた、葵の心を捉えて離さなかった。
一方、雅の葵に対する嫉妬は、受賞を機にさらに陰湿なものへと変わっていった。葵のレシピを盗み見ようとしたり、業者に嘘の情報を流して葵の仕入れを妨害したりと、その嫌がらせはエスカレートする一方だった。葵は毅然と対応しつつも、内心では深く傷ついていた。
そんなある雨の日、仕入れの帰りに葵は蓮と偶然出会った。激しい雨に足止めされ、二人は小さなカフェで雨宿りをすることになった。窓の外では、雨がアスファルトを叩きつけ、街の喧騒を洗い流していく。店内には、コーヒーの香りと静かなジャズが流れていた。
「…雅さんのこと、気にしているのか」
蓮が不意に切り出した。葵は驚いて顔を上げたが、すぐに俯いた。
「少し…でも、大丈夫です。自分の料理を信じていますから」
「そうか」
蓮はそれ以上何も言わず、窓の外に視線を移した。その横顔はどこか寂しげで、葵は胸が締め付けられるような思いがした。
「蓮さんは…どうしてジュエリーデザイナーに?」
葵は思い切って尋ねてみた。蓮は少し驚いたように葵を見たが、やがて静かに語り始めた。
「昔…大切な人がいたんだ。彼女は星が好きでね。いつか、彼女のために最高の星をデザインしたいと思っていた」
彼の声には、深い哀しみが滲んでいた。
「その彼女は…今?」
「…もういない。病気で…若くして逝ってしまった」
蓮の瞳が、雨に濡れた夜空のように潤んでいた。葵は言葉を失った。あのペンダント「F4192」は、もしかしたら…。
「あのペンダント…『星屑』と名付けたんだが、実は彼女に贈るはずだったデザインなんだ。彼女が亡くなってからは、もう二度とジュエリーは作れないと思っていた。だが…君の料理に出会って、君という人間に出会って、もう一度、何かを生み出したいと思えるようになったんだ」
蓮は葵の手をそっと取り、その手の甲に自分の手を重ねた。彼の大きな手は温かく、そして力強かった。
「君の料理は、僕にとって希望の光だ。そして、君自身が、僕にとっての新しい星なんだよ、葵」
その言葉と共に、蓮の指が葵の指に絡みついた。雨音だけが響く静かなカフェの中で、二人の視線が交差し、時間が止まったかのようだった。蓮の親指が、葵の手の甲を優しく撫でる。その感触は、まるで羽毛のように柔らかく、それでいて葵の心の奥深くに熱い楔を打ち込むようだった。葵は、蓮の瞳の奥に揺らめく情熱と、そして癒えない悲しみの両方を感じ取り、彼を支えたい、彼の心の傷を少しでも和らげたいと強く願った。この瞬間、二人の魂は確かに触れ合ったのだ。蓮がゆっくりと顔を近づけ、葵の髪にかかった雨粒をそっと拭う。その指先が耳朶に触れ、葵は小さく身を震わせた。彼の吐息が頬にかかり、甘美な予感が全身を駆け巡った。
レストランに戻ると、雅が鬼の形相で葵を待ち構えていた。
「あなた、榊様とどういう関係なの? まさか、色目を使って取り入ろうなんて思ってないでしょうね!」
雅の言葉は、葵の心を深く抉った。蓮への想いを汚されたような気がして、葵は珍しく感情を露わにした。
「雅さんには関係ありません! 私と榊様のこと…いえ、蓮さんのことを、そんな風に言わないでください!」
「蓮さん、ですって? いつからそんな馴れ馴れしい仲になったのよ!」
二人の口論はヒートアップし、それを聞きつけた源さんが割って入った。
「二人とも、そこまでだ! 雅、お前は少し冷静になれ。葵、お前もだ」
源さんの厳粛な声に、二人は渋々口を閉じた。しかし、葵と雅の間の溝は、もはや修復不可能なほど深まっていた。
その夜、葵は蓮からもらったペンダントを握りしめ、自問自答した。蓮への想いは本物なのか。それとも、雅の言うように、ただの打算なのか。だが、彼の悲しみに触れた時、彼の温かい手に包まれた時、確かに感じたあの胸の高鳴りは、嘘ではなかった。葵は、自分の気持ちに正直になろうと決意した。そして、蓮の心の闇を照らす、一番星のような存在になりたいと願った。
数日後、蓮から食事に誘われた。彼が予約したのは、街を見下ろす高台にある、隠れ家のような小さなイタリアンレストランだった。窓の外には、宝石を散りばめたような夜景が広がっている。
「ここは…?」
「僕の友人がやっている店だ。君に、紹介したい人がいる」
そう言って蓮が紹介したのは、初老の紳士だった。彼は、蓮のジュエリーデザイナーとしての師であり、今は引退してこのレストランのオーナーをしているという。
「榊から、君のことはよく聞いているよ、葵さん。君の料理は、彼に再び創作のインスピレーションを与えたそうだね」
老紳士は穏やかに微笑み、葵に語りかけた。そして、蓮の過去について、葵が知らなかった事実を教えてくれた。蓮が恋人を亡くした後、数年間、完全に創作活動から離れていたこと。絶望の淵にいた彼を救ったのが、食という原始的でありながら、最も心に響く芸術だったこと。そして、葵の料理が、彼に生きる希望と創作への情熱を再び灯したこと。
話を聞き終えた葵の目には、涙が溢れていた。蓮は黙って、葵の肩を抱き寄せた。その温もりに包まれながら、葵は、この人のために自分ができることの全てを捧げたいと、心の底から思った。
食事の後、二人は夜景の見えるテラスに出た。ひんやりとした夜風が心地よい。
「葵…」
蓮が葵の名前を呼び、彼女の頬にそっと手を添えた。彼の瞳は、夜空の星々よりも強く輝き、葵を吸い込むように見つめている。その眼差しには、抑えきれないほどの情熱が宿っていた。葵は何も言えず、ただ彼を見つめ返した。蓮の指が、葵の唇を優しくなぞり、そして二人の唇は自然に重なった。それは、甘く、切なく、そしてどこまでも深いキスだった。街の灯りが遠くで瞬き、まるで二人の未来を祝福しているかのように見えた。
第三章:魂のコンチェルト
蓮との絆を深めた葵だったが、レストラン「レトワール・フィラント」は思わぬ危機に見舞われていた。長引く不況の煽りを受け、客足が徐々に遠のき始めていたのだ。さらに、オーナーである源さんが過労で倒れ、入院してしまった。医師からは絶対安静を言い渡され、店の経営は完全に葵と雅、そして数名のスタッフに委ねられることになった。
「このままでは、店が…」
スタッフたちの間に不安が広がる。雅は「もう潮時かもしれないわね」と冷たく言い放ち、葵の心をさらに追い詰めた。しかし、葵は諦めなかった。源さんが大切にしてきたこの店を、自分の手で守り抜きたい。そして、蓮が愛してくれた自分の料理で、もう一度客を呼び戻したい。
葵は寝る間も惜しんで、起死回生の新しいコースメニューの開発に取り掛かった。その中心に据えたのは、蓮からもらったペンダント「F4192」からインスピレーションを得た一皿だった。
「星屑の輝きを、一皿に閉じ込める…」
葵は、夜空に瞬く無数の星々をイメージし、地元産の新鮮な魚介と旬の野菜を使い、見た目も味わいも斬新な一皿を考案した。中央には、大粒のホタテのポワレをメインに据え、その周りには、まるでダイヤモンドのメレダイヤのように、色とりどりの小さな野菜のピクルスやハーブ、そしてキャビアを星屑のように散りばめた。ソースは、夜空の深い青を表現したバタフライピーの天然色素を使った透明感のあるジュレと、月の光を思わせるサフラン風味のクリームソースの二重奏。料理名は「toile Scintillante(エトワール・サンティヤント)―きらめく星」。まさに、あのペンダントの輝きそのものだった。
しかし、雅は葵の努力を鼻で笑い、ことあるごとに妨害を繰り返した。葵が新しい食材を仕入れようとすれば、「そんな高級食材、今のうちの店には分不相応よ」と反対し、葵が厨房で試作に没頭していると、「そんな奇をてらった料理、お客さんが喜ぶわけないじゃない」と水を差す。それでも葵は、蓮の存在を心の支えに、黙々と自分の信じる道を進んだ。
蓮は、葵の苦闘を静かに見守りながら、彼女を力づけた。時には、深夜まで試作に付き合い、的確なアドバイスを与えてくれた。
「この料理…素晴らしいよ、葵。君の魂が込められているのがわかる。まるで、夜空の星々が奏でるコンチェルトのようだ」
蓮の言葉は、葵にとって何よりの励みとなった。二人が厨房で二人きり、試作を重ねる夜は、特別な時間だった。真剣な眼差しで食材に向き合う葵の横顔を、蓮は愛おしそうに見つめる。葵がソースの味見を蓮に求め、スプーンを差し出す。蓮がそのスプーンを受け取り、ゆっくりと味わう。そして、感想を述べ合ううちに、自然と顔が近づき、互いの吐息が感じられるほどの距離になる。厨房のステンレス台に寄りかかり、熱っぽく見つめ合う二人。食材の香り、ワインの芳香、そして互いの肌の温もりが混ざり合い、濃密な空気が漂う。蓮の手が葵の腰にそっと添えられ、葵は彼の胸に顔をうずめた。その瞬間、言葉はいらなかった。互いの情熱が、静かに、しかし確実にぶつかり合っていた。
一方、蓮自身もまた、葵との出会いによって新たな創作意欲に燃えていた。彼は、かつて恋人を亡くしたトラウマを乗り越え、再びジュエリーデザインの世界に戻る決意を固めていた。そして、葵をイメージした新しいコレクション「Aube(オーブ)―夜明け」のデザインに着手していた。それは、暗闇から光が生まれる瞬間のような、希望に満ちた輝きを持つコレクションだった。
いよいよ、葵の新しいコースメニュー「星屑のデギュスタシオン」が発表される日が来た。雅は最後まで、「こんなもの、失敗するに決まっているわ」と捨て台詞を吐いたが、葵は動じなかった。
最初の一組の客が、アミューズとして出された「toile Scintillante」を口にした瞬間、その表情が変わった。驚き、感動、そして至福。その反応は、次々と他の客にも伝播していった。
「素晴らしい…こんな料理、初めてだわ」
「まるで、星空を旅しているような気分だ」
客たちの賞賛の声が、レストランに響き渡る。葵の料理は、人々の心を捉え、感動を与えたのだ。その日のレストランは、久しぶりに満席となり、活気に満ち溢れていた。
その様子をカウンター席から見守っていた蓮は、満足そうに微笑んでいた。そして、食事が終わった葵のもとに歩み寄り、そっと小さな箱を差し出した。
「おめでとう、葵。君の勝利だ」
箱の中には、彼がデザインした「Aube」コレクションの一つである、繊細なデザインのブレスレットが入っていた。夜明けの空の色を思わせる淡いブルーのサファイアが、ダイヤモンドの星々に囲まれて輝いている。
「これは…私に?」
「君がくれた光への、僕からの感謝のしるしだ」
蓮はそう言うと、葵の手首にブレスレットを着けてくれた。その瞬間、葵の目から涙が溢れた。それは、嬉し涙であり、感謝の涙であり、そして、愛の涙だった。
雅は、その光景を遠くから見ていた。彼女の表情からは、いつもの険しさが消え、どこか寂しげな、そして僅かな羨望の色が浮かんでいた。彼女は、葵の才能と、そして葵を支える人々の絆の強さを、認めざるを得なかったのかもしれない。
レストランの危機は、葵の魂を込めた料理と、彼女を愛する人々の支えによって、見事に乗り越えられたのだった。源さんの病状も快方に向かい、退院の知らせが届いたのは、その数日後のことだった。
第四章:永遠のデセール
葵の「星屑のデギュスタシオン」は瞬く間に評判となり、「レトワール・フィラント」はかつての賑わいを取り戻した。それどころか、以前にも増して予約の取れない人気店へと変貌を遂げていた。源さんも無事に退院し、店の活気を見て目を細めていた。
「葵、よくやってくれたな。お前は、わしの自慢の弟子だ」
源さんの言葉に、葵は胸がいっぱいになった。
ある日、雅が葵のもとを訪れた。いつものように棘のある言葉ではなく、どこか吹っ切れたような、穏やかな表情をしていた。
「葵さん…いえ、葵シェフ。今まで、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる雅に、葵は驚いた。
「あなたの才能に嫉妬して、酷いことばかりしてしまった。でも、あなたの料理は本物よ。あんなに素晴らしい料理を作れる人に、私は勝てっこなかった」
雅の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。葵は、雅の手をそっと握った。
「雅さん…私も、雅さんの技術から学ぶことはたくさんありました。これからは、一緒にこの店を盛り上げていきましょう」
葵の言葉に、雅は顔を上げ、そして初めて心からの笑顔を見せた。長年の確執は雪解けのように消え、二人の間には新たな絆が生まれようとしていた。
そんな穏やかな日々が続くある満月の夜、蓮は葵を、初めて出会った頃によく訪れた思い出の公園へと誘った。月明かりが優しく二人を照らし、木々の葉がさざめく音が心地よく響く。
「葵」
蓮は葵の前に跪き、小さなベルベットの箱を差し出した。葵の心臓が、大きく高鳴る。
「僕の人生に、再び光を灯してくれたのは君だ。君のいない人生なんて、もう考えられない」
箱を開けると、そこには息をのむほど美しいダイヤモンドの指輪が輝いていた。それは、葵が初めて蓮からもらったペンダント「F4192」をモチーフにしたデザインだった。中央には、夜空で最も明るく輝く一番星のような、極上のダイヤモンドが鎮座し、その周りを小さな星々が取り囲んでいる。その輝きは、純粋で、力強く、そして永遠を思わせた。
「この輝きは、君そのものだ。葵…僕と、結婚してください」
蓮の真摯な瞳に見つめられ、葵の目からは止めどなく涙が溢れ出た。
「はい…喜んで」
震える声で答える葵の薬指に、蓮はそっと指輪をはめた。それは、まるで彼女のためにあつらえられたかのように、ぴったりと指に収まった。二人は固く抱き合い、月明かりの下で永遠の愛を誓った。
数年後。
葵は、古都の一角に自分の小さなレストラン「Aoi's Table(アオイズ・テーブル)」を開いていた。そこは、温かい光と木のぬくもりに満ちた、家庭的で居心地の良い空間だった。厨房では相変わらず真剣な眼差しで料理と向き合う葵の姿があったが、その表情は以前にも増して柔らかく、幸福に満ち溢れていた。
そして、客席には、夫となった蓮と、二人の間に生まれた愛らしい娘、星奈(せな)の姿があった。星奈は、父親譲りの深い瞳と、母親譲りの明るい笑顔を持つ、天使のような女の子だった。
「ママ、今日のスープ、お星さまの味がする!」
星奈が無邪気に言うと、葵は嬉しそうに微笑んだ。蓮もまた、愛おしそうに二人を見つめている。家族三人で囲む食卓は、いつも笑い声と幸せな香りで満たされていた。
その日のディナータイムが終わり、最後の客を見送った後、葵は一人、静まり返ったダイニングで息をついた。胸には、蓮から初めてもらったあの星屑のペンダントが、変わらず輝いている。ふと窓の外を見ると、テラス席で蓮が夜空を見上げていた。葵はそっと彼の隣に寄り添った。
「綺麗ね、今日の星空」
「ああ。でも、君の方がもっと綺麗だよ」
蓮は悪戯っぽく微笑み、葵の肩を抱き寄せた。葵は蓮の胸に顔をうずめ、彼の温もりと優しい香りに包まれる。
「蓮さん…ありがとう。私を、見つけてくれて」
「僕の方こそ、ありがとう。君が、僕の世界をこんなにも豊かで輝かしいものにしてくれた」
二人は言葉少なに見つめ合い、そして自然に唇を重ねた。それは、出会った頃の初々しいキスとは違う、穏やかで、深く、そして全てを包み込むような愛に満ちたキスだった。
葵の料理は、これからも多くの人々を幸せにし、温かい感動を与え続けるだろう。そして、彼女と蓮の愛は、夜空に輝く星々のように、永遠にその輝きを失うことはない。彼らの物語は、甘美で味わい深いデセールのように、いつまでも人々の心に残り続けるのだった。
あの「F4192 絶品ダイヤモンド0.52ct K18 1.48g 11.23mm」のペンダントは、二人の愛の始まりを告げた星屑であり、今も変わらず葵の胸で、そして蓮の心の中で、最も美しい輝きを放ち続けていた。その輝きは、時に情熱的に、時に優しく、二人の人生を照らし続ける、永遠の道しるべだった。夜風がそよぎ、葵の髪を優しく撫でる。蓮は葵の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「愛してる、僕の星」
その言葉は、どんな高級な食材よりも、どんな美しい盛り付けよりも、葵の心を甘く満たす、最高のデセールだった。
ノーブルジェムグレイディングラボラトリー鑑別書付。
(2025年 06月 02日 9時 50分 追加)
原価の数分の1〜