司馬遼太郎の「竜馬がゆく」 全8巻(文春文庫)です。状態は、全般にかなり良好です(なお写真は現品と異なりますが、状態は写真と同等以上です)。送料は、クリックポスト(2個口)で370円です。
◆内容: 坂本竜馬は土佐郷士の次男坊にすぎず、また浪人の身でこの大動乱期に卓抜した仕事をなしえた幕末維新史上の奇蹟といわれる。竜馬の劇的な生涯を中心に、同時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。黒船の出現以来、猛然と湧き上ってきた勤王・攘夷の勢力と、巻き返しを図る幕府との抗争は次第に激化。先進の薩長に遅れまいと、固陋な土佐藩を藩ぐるみ勤王化して天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に限界を感じた竜馬は、さらに大きな飛躍を求めて脱藩を実行し、浪人となって幕府要職にある勝海舟と運命的に出会う。竜馬は、勝との触れ合いによってどの志士とも違う独自の道を歩き始めた。生麦事件など攘夷熱の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して海外と交易しなければならないと密かに考える。志士たちで船隊を操り大いに交易をやり、時至らば倒幕のための海軍にする ―竜馬の志士活動の発想は奇異であり、ホラ吹きといわれた。世の中は騒然としている。反動の時代 ―長州の没落、薩摩の保守化、土佐の勤王政権も瓦解した。しかし、竜馬はついに一隻の軍艦を手に入れたのであった。さらに、池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし幕府の屋台骨は緩んだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ・・・次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬自身も窮迫した。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、彼の壮大な計画も無に帰してしまった。幕府を倒すには薩長が力を合せれば可能であろう。しかし互いに憎悪しあっている両藩が手を組むとは誰も考えなかった。このとき、一浪人である竜馬が奇蹟を現出した。竜馬の決死の奔走によって、慶応2年1月、幕府の厳重な監視下にある京で密かに薩長の軍事同盟が成立した。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。同盟した薩長が着々と討幕態勢を整えてゆく中で、竜馬はこの薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に思い切った奇手を案出した。大政奉還 ―幕府政権を穏やかに朝廷に返させ、これによって内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず一挙に新政府を樹立する狙いであった。慶応3年10月、徳川慶喜は京二条城の大広間で大政を奉還すると表明。ここに幕府の300年近い政権は幕を閉じ、時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。しかし、竜馬はそれを見届けることもなく、歴史の扉を未来へ押しあけたまま流星のように去る。相次ぐ抗争で多くの志士の血が流れたが、竜馬の奔走によって大政奉還が実現し、竜馬の精神は維新政策に生きていく。
◆著者、司馬遼太郎は1923年、大阪市生まれ。旧制大阪外国語学校(現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学後、1943年11月に学徒出陣により仮卒業し(翌年に正式卒業)、陸軍の戦車第十九連隊に入隊。満州配属を経て栃木県佐野市で終戦を迎え、復員後は新世界新聞社を経て、産経新聞社京都支局に入社。その後、文化部長、出版局次長を勤めたが、記者として在職中に執筆を開始。1956年、司馬遼太郎の名で応募した「ペルシャの幻術師」が講談倶楽部賞を受賞し出世作となった。1960年、『梟の城』で直木賞を受賞し歴史小説に新風を送る。翌年から本格的に作家生活に入り、『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、『国盗り物語』、『坂の上の雲』など数々の代表作を世に送り出す。戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。1981年、日本芸術院会員。1991年、文化功労者。1993年、 文化勲章受章。1996年死去(享年72)。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
作風等について: 歴史小説家として、主人公に対しては常に好意的であり、作者が持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとる。歴史の大局的叙述とともに、登場人物を客観的に素描することで乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せることが特徴の一つである。反面、そのスタイルで話が脇道にそれることが多いので長編の構成力が弱いとの評もある。後年は小説から遠ざかり随想や批評を主としたが、抽象的な思索よりも具体的な歴史評論や文明批評を主にし、合理的思考を掲げて考証を行った。作品の多くはベストセラー、ロングセラーとなり、映像化もされた。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、福澤諭吉らは多くの作品に重複して登場しており、現代日本人が持つ彼等の「人物イメージ」は司馬小説に大きく影響を受けている。
司馬の歴史観等について: 司馬作品の一般的人気と相まって、司馬が高い実証性を持った歴史小説の形式を確立したことを採り上げ、上質な娯楽として読むに足る物として高く評価する支持者は多く、司馬が新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家と言われるようなった。このいわゆる「司馬史観」はしばしば論争の対象となり、批判としては近代合理主義への偏重が一定の限界を与えていたという指摘が代表的である。また、中村政則・佐高信らから「戦争、植民地支配を美化・正当化している」とか、西部邁・小林よしのりらから「大東亜戦争を否定する自虐史観」「ポチ保守の史観」などと批判されている。 学究的な立場からは、司馬が実証性を謳っているにもかかわらず、小説の一部に創作した場面が存在すること、資料の誤読や資料批判の不徹底等による事実誤認などが指摘されている。フィクションを歴史の真実であるかのように読者が錯覚してしまうのは、それだけ司馬の作家としての手腕が優れていることの証明であるとも言えるが、批判派にとってはその錯覚させる手腕自体が問題であり、司馬本人への賛否にかかわらず神格化を行っている者を信者のように捉えて批判する。これらに対して反論を行なう者、擁護派は司馬の言葉から教訓を汲み取ろうとする傾向があり、司馬(ないし小説家)の社会的影響力については触れないか、受け手の問題であるとする場合が多い。
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