北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん、本名:北大路房次郎、1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉12月21日)は、日本の芸術家。晩年まで、篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
魯山人は母の不貞によりできた子で、それを忌んだ父は割腹自殺を遂げた。生後すぐ里子に出され6歳で福田家に落ち着くまで養家を転々とした。この出自にまつわる鬱屈は晴れることなく、人格形成に大きな影響を及ぼした。
6度の結婚は全て破綻し2人の男児は夭折した。その一方、家庭の温かみに飢えていた魯山人は、ラジオやテレビのホームドラマの何気ない会話、微笑ましい場面によく肩を震わせ涙を流して嗚咽したという。
傲岸不遜、狷介、虚栄などの悪評が常につきまとった。毒舌でも有名で、柳宗悦や梅原龍三郎、横山大観、小林秀雄といった戦前を代表する芸術家・批評家から、世界的画家のピカソまでをも容赦なく罵倒した。この傲慢な態度と物言いが祟り、1936年に星岡茶寮から追放されてしまう。逆にその天衣無縫ぶりは、久邇宮邦彦王や吉田茂などから愛されもした。
北大路魯山人の作品の魅力は何かに縛られる事の無い自由奔放で豪快、それでいて一つの美しさを極限まで追求した繊細さにあります。特に40歳を過ぎてから始めた作陶においてはそのこだわりは強く、書や絵画の才も活かした魯山人ならではという作品も多いですし、過去の名工にならった作品でもその技法からよく研究しそれを超えるような名品も多く残しています。
書、篆刻、絵画、陶芸と多彩な才能を発揮していた魯山人ですが、生涯を通じてどの領域の団体にも所属しませんでした。それどころか、常に組織の外側におり、有力者にも歯に衣着せぬ物言いで批評するという、傍からみたら珍しいほどの異端者でもありました。
その異端者ぶりは、1956年に人間国宝の指定を辞退したことからも充分伺えます。文部技官の小山冨士夫が直々に、しかも2度も訪れたのにも関わらず、の辞退です。理由は生涯話す事はありませんでしたが、「無位の真人」 という禅の言葉を人生の標榜としていた魯山人だったので、世間体やステータス、人間関係などに捉われず、芸術家としての信念を貫いたのではないか、と言われています。
この出品は、魯山人が自分の手で自分用の食器として作ったお皿です。志野焼の白っぽい釉薬に蟹の模様を自由自在に描き、とても魯山人ぽい作品であります。代々の友人「黒田陶々菴」の2代目主人の箱書きの極めも、この作品にランクアップだと認識しております。サイズ:15・2cm
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