自宅保管の品です。大変美品ですが、古いもので表紙など経年変化はございます。ご理解頂ける方にご入札をお願い申し上げます。
大人気NHKラジオ深夜便トークにさらに加筆した初めての自伝。
敗戦下の昭和20年ー。母を失い、家を追われ、弟妹を背負い着の身着のまま朝鮮から日本に引き揚げてきた14才の五木さん。明日をも知れぬ少年の日々を、懐かしい流行歌と共に語り尽くした完全版自分史。
レビューより
こころに響く語り口…深夜便の歌語りが再現された。聞き落としたところも含め、幼少青年期に歌と共に過ごした生活が生き生きと語られている。
ピョンヤンに流れていた軍国歌謡、記憶の底で響く「アリラン」、母が歌った「花嫁人形」、父に隠れて聴いた「純情二重奏」、戦時下の望郷歌「誰か故郷を想わざる」等々
ソウル、ピョンヤン、南北朝鮮の子ども時代、「植民地」での敗戦体験。明日をも知れぬ引揚げの恐怖、ロシア人兵士との闇取引、自宅の没収、病の母をリヤカーに乗せた逃亡生活。若き鬱屈と共に歌はあった。今こそ声をあげて歌いたい。魂に響く、昭和の歌謡史!
南北潮鮮で過ごした子ども時代、敗戦で家を失い、教師の父は酒に逃げた。病の母をリヤカーに乗せた逃亡生活、明日をも知れぬ引揚の恐怖、ロシア人兵士との闇取引。激動の少年期を経て筑豊に帰国した少年は、極貧の中、早稲田大学に入学し、青春の日々を売血で食いつないだ。つらい時、かなしい時、常に歌がともにあった。―私は、歌が、人間の肉声が好きなのです。命をつないだ魂と涙の昭和歌謡史。今こそ声をあげて歌いたい。
目次
第1章 はじめて聴いた歌
第2章 戦時下の流行歌
第3章 極限の悲しみの歌
第4章 脱出を支えた歌
第5章 貧しい日本で生まれた歌
第6章 東京の苦学生の歌
人は悲しいとき、明るい歌で元気づけられるというものでもない。悲しいときには、強い言葉とか元気な激励の言葉ではなく、「わかるよ、おれもそうなんだよ。本当に生きていくことは大変なんだよ」という言葉の方が心を支えてくれる。それでもなんとか生きていこうという気持ちが湧いてくると言うのも肯ける。その当時の歌のかけらを一つずつ拾い集めていくうちに、「自分の生涯が影絵のように浮かび上がってきた」という。
戦後、外地から脱出、引き揚げ船での演奏会、「リンゴの唄」がくれた希望の光、温かく迎えてくれた援護の人びと「かえり船」等々
戦後日本で、若く新鮮な歌手だった美空ひばりの「悲しき口笛」「リンゴ追分」…その頃はまだ国民的大歌手ではなかったが、「歌は本当に心にしみましたね」と懐かしむ。
雑誌で美空ひばりと対談したとき、「津軽のふるさと」が「あなたの歌のなかで、世界に通用する一番いい歌」だと言うと、次週早速テレビ歌謡番組で歌ってくれたとのこと。著者のサイン会に訪れたひばりと向き合う写真も掲載されている。第一部はここで終わっている。二部・三部が待たれる。