大型図録本 須恵器 写真解説 写真集 作品集 論考テキスト 資料 追加参考写真図版
A Pageant of Japanese Ceramics SUE WARE
中央公論社
編集・解説 田中琢/田辺昭三
監修 谷川徹三
編集委員 佐藤雅彦 坪井清足 楢崎彰一 林屋晴三
昭和52年初版 1977年
函入 カバー付き ハードカバー
78ページ
約34.5x26.5x2.3cm
作品写真フルカラー 解説追加参考写真図版モノクロ
巻末に英文の作品リスト、梗概 4ページ
English Abstract,List of Plates 4pages end of the book
※絶版
フルカラー大型図録本 須恵器図鑑。函入大型愛蔵版。
朝鮮から技術導入以来祭器や日常容器として百種の器形を生んだ古代硬質陶器の全貌。
古墳時代を中心に、古墳時代中期から飛鳥時代、奈良時代、平安時代初期(5世紀~9世紀)にいたる間の
須恵器106点、94図を収録。
全作品の詳細な説明、ほか論考テキストも充実の一冊。
本巻では 須恵器の坏 高坏 はそう 短頸壺 広口壺 直口壺 瓶 提瓶 平瓶 甑 鉄鉢形土器 すり鉢 器台 甕
などその作品群の全貌をフルカラー写真で紹介。
厳選された国内最高峰の優品を網羅して収録。
収録作品の配列は、あらゆる器形を網羅し、作風の展開のさまがわかるように掲載、
写真に加えて、巻末には全作品の寸法、全作品の詳細な解説掲載。
作品名については、全作品に英文表記あり。また、巻末に英文の論考テキストも収録。
美術館・博物館所蔵などの文化財から、研究機関所蔵品、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
斯界の研究第一人者による解説論考テキストは、追加参考作品のモノクロ写真を多数もちいてその器形、様式の展開をていねいに考察。
追加参考作品写真として、叩き目文と調整技法 墨書土器各種、平城宮出土の新しい形の須恵器など。
須恵器の変遷図年表(坏 高坏 はそう 短頸壺 広口壺 直口壺 瓶 提瓶 平瓶 甑 鉄鉢形土器 すり鉢 器台 甕などの器別・西暦500~900年に整理分類したイラスト図年表)
に加えて須恵器の主要古窯址群分布図、陶邑古窯址群を掲載。
巻末のやきもの風土記は、唐津に小次郎窯・西岡小十を訪ねて、須恵器の手法のひとつ蹴轆轤での「叩き」により、
文禄・慶長の役より以前のやきものづくり、泉北ニュータウンの大阪府立泉北考古資料館を
見ていく内容など、こちらも楽しく内容充実の読み物。
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、厳選された掲載作品図版、テキストは内容充実、参考文献としても多く引用されてきた一冊です。
本書は大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
陶芸家、茶道具、デザイン、古陶磁、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な資料本です。
【目次】
作品 カラー写真図版
概説-青灰色の神秘 田中琢 田辺昭三 参考写真図版モノクロ(以下目次にはありませんが本文見出し)
須恵器の登場 須恵器の生産地 須恵器生産の技術―窯 須恵器の技術―轆轤 集落と墓の須恵器 須恵器の起源と最古の須恵器 須恵器の形と用途 須恵器の変遷 須恵器における地域性 須恵器の終焉
(参考図版 叩き目文と調整技法 墨書土器各種)
須恵器の変遷図年表 坏 高坏 はそう 短頸壺 広口壺 直口壺 瓶 提瓶 平瓶 甑 鉄鉢形土器 すり鉢 器台 甕
須恵器の主要古窯址群分布図
陶邑古窯址群分布図
作品解説 田中琢 田辺昭三
やきもの風土記 九原常雄
参考文献
作品目録
英文梗概 English Abstract
英文目録 List of Plates
【凡例】
*本巻には、古墳時代中期から平安時代初期(5世紀~9世紀)にいたる間の須恵器106点、94図を収録した。同じ作品で全形と部分の図版のあるものは、一点二図とし、複数の作品からなる図版では、それぞれを収録点数にかぞえた。ただし有蓋の器は一点とした。
*収録作品は、古墳時代に重点をおいて選択することとし、それぞれ器の種類ごとに集め、おおよそ、貯蔵の形態から、供献、供膳の形態の順に配列した。
*作品には、原則として、図版番号、名称、出土地、世紀、寸法を付記し、英文の名称を添えた。名称の読み方は、作品解説で振仮名をつけた。
*所蔵については、公私の博物館や美術館等に属するものはそれを記載し、個人の場合は省略した。
*難解と思われる語、術語には、語の下に*をつけ、上欄に注を載せた。
*漢字、振仮名、送仮名などの表記法はそのほとんどを全集の方針によった。
*巻末には、図版目録と英文梗概を付した。
【概説】より一部紹介
須恵器の登場
五世紀の中ごろ、日本列島で須恵器の生産が開始された。この青灰色硬質の地味なやきものの登場は、日本の陶芸史上、衝撃的な、あるいは革命的とでもいうべきできごとだった。陶芸史上のあらゆる技術的変革と比較しても、それまで行われてきたものを一変させたのみでなく、現在も行われているものの多くがここに始ったという点で、最大の事件だったということができよう。
須恵器生産の開始が革命的だったと評価する理由は、大きく分けて二点ある。一つは技術的な側面からするものだ。構築的な窯を使う新しい焼成技法によって、1000度以上の高温を駆使し、それまでにない硬質のやきものを多量に製作する技術がもたらされた。同時に、それは読という機械力を利用し、器を造形する技法を伴っていた。新しい造形技法は新しい形を生む。須恵器独得の鋭い線がやきものの世界に生れる。こういった新しい技術は、それを駆使することができる特殊な技術者集団の存在を抜きにしては考えられない。第二は、こういった専業工人群の成立であり、やきものの世界における製品の流通、生産者と使用者の明確な分離である。自給自足的なそれまでの村落経済を基盤としては、須恵器生産は存立しえなかった。多量に、集中的に製造された新しい硬質のやきものは、それまでの農村におけるやきものの生産と供給の体制の変質を促す。この須恵器生産は、古墳時代中期に始った一連の手工業生産における技術的革新を構成する一部であったけれど、それが人々の生活に直結するごく日常的な用具につながる根本的なものである点からすれば、その社会的歴史的影響はきわめて大きいものだったということができよう。
須恵器の登場以前、人々は弥生式土器と基本的には大きなちがいのない土師器を使用していた。煮炊きのための鍋釜としても、米や水を貯える甕や壺にも、あるいは食器などにも、この赤褐色の素焼の土器が使われた。そのほとんどは、優秀な土器作りの技術をもつ隣人が製作したものだった。彼らとて、農繁期には農耕にいそしみ、土器作りに従事したのは農閑期だったろう。時代はやや降るが、「正倉院文書」にある八世紀の文献史料の伝えるところによると、土師器はわずか男女各一人が一組になって生産に従事するという小規模なものだったことが確認できる。彼ら二人が三か月間労働して、4046口の土師器を製作したことになっている。碗や皿だと一日当り、30~40口で、その生産量は八世紀の段階でも、けっして多いものではなかったことがうかがえる。(…以下略)
【執筆者紹介】
田中琢
一九三三年(昭和八年)、滋賀県に生れる。京都大学文学部大学院修了後、平城宮跡等の発掘調査に従事。現在、奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター研究指導部長。編著『鐸剣鏡』(講談社)、共著『平城宮跡発掘調査報告I~V』(奈良国立文化財研究所)
ほか。
田辺昭三
一九三三年(昭和八年)、静岡県に生れる。立命館大学文学部卒業後、陶邑窯をはじめ各地の発掘調査に従事。現在、奈良大学助教授。著書『陶邑古窯址群Ⅰ』(平安学園教育研究会)、『須恵』(平凡社)、『古墳の謎』(祥伝社)、『謎の女王・卑弥呼』(徳間書店)ほか。
九原常雄
一九二六年(大正十五年)、福岡市に生れる。朝日新聞の瀬戸通信局長時代に「永仁の壺」事件を取材。のち、名古屋本社学芸部を経て現在、東京本社出版局で美術図書を編集。
著書『瀬戸=土と火の町』(日本放送出版協会)ほか。
監修 谷川徹三
編集委員 佐藤雅彦 坪井清足 楢崎彰一 林屋晴三
【作品解説】より一部紹介 全作品に寸法、制作年代、作風やその見どころ、来歴などの詳しい解説。
甕 大阪府陶邑窯出土 五世紀 大阪府教育委員会
肩部から胴部にかけて強く張り出した体部の大きさに比べて、ロ頸部はやや短小にみえる。器体のバランスからいえば、すでにこれはいわゆる初期須恵器の形を脱け出している。口縁端部の鋭い稜線や体部の平行叩き目文と螺旋状の木理(木目)条痕文とは、この甕の年代を五世紀代に位置づける根拠である。われわれが甕とよぶのは、一般に貯蔵用の容器として用いられたものであるが、大きさで大別すれば大・中・小の三種があり、これは中型甕に属する。
把手付甕 奈良市佐紀町平城宮跡出土 八世紀 奈良国立文化財研究所
大きく開いた口と短い口縁、まるい体部の両側についた把手が特徴的である。把手は、正面からみると三角形を呈している。体部表面下半には粗いカキ目がつき、内面には全体に叩き目の痕跡が認められる。青灰色の色調と、やや厚手で胎土が粗い点を除くと、この形態は同時代の土師器(皿、彫)の煮炊き用の釜の類と一致する。この器にも外面に煤が付着しており、須恵器としては珍しく煮沸に用いたらしい。平城宮跡の内裏外郭、方四メートルほどのごみ捨て穴からの出土品だが、この穴からは2000個体ほどの土器のほかに木製品など各種遺物が発見されている。同時に出土した一、800余点の木簡の記載から、この土壌が、天平末年(七四八年ごろ)に埋められたものであることが推定されている。この須恵器を含めて奈良時代の遺物研究上きわめて重要な一括の資料となっている。
子持ハソウ・装飾器台 福岡市大字羽根戸出土 五世紀 重要文化財 伊勢神宮徴古館農業館
形や製作技法からみて、これは須恵器全体のなかで一、二を争う優品である。装飾付筒形器台の上に、子持題が載っているのだが、二個を一体としてみても、あるいは二個を別々にみてもバランスが崩れていないのは見事である。福岡市羽根戸の古墳から出土したと伝えられるが、生産地は畿内陶邑窯である可能性が大きい。筒形器台を飾っている小像は、亀・猪・犬、子を負う人物などで、一見なんの脈絡もなく雑然と配置されているようなこの小像群を通して、一つの物語を読みとろうとすれば、それもまた楽しい須恵器鑑賞法の一つではないだろうか。
杯 大阪府陶邑窯出土 五世紀 大阪府教育委員会
杯は須恵器のなかで最も普遍的な器形であり、量的にもおそらく最も大量に生産された。また、須恵器出現以来その終末の時期まで存続した数少ない器形の一つであるという点からも、型式・年代を決定する上で標準にすることが多い。図4は初期須恵器で、最古の杯である。杯身がちょうど小型の釜のような形をしており、たちあがりは低く内傾している。蓋受けの張出しは極端に突き出し、体部は深い。底部は不定方向のヘラ削りで調整されており、轆轤の回転を利用しないのが特徴である。図8は、初期須恵器に続く五世紀後半の杯で、身のたちあがりは直立して高く、端部は鋭く仕上げられている。七世紀前半以後、杯の形は一変し、蓋に宝珠形の紐がつき…
ほか
【作品目録】より一部紹介 寸法・所蔵先 掲載
甕 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
耳付甕 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
甕 大阪府陶邑窯出土 7世紀 大阪府教育委員会
把手付甕 奈良市平城吉跡出土 8世紀 奈良国立文化財研究所
甕 宮城県出土 8世紀 東北大学考古学研究室
四耳壺 福井県出土 8世紀
壺 愛知県日進町岩崎41号窯出土 8世紀 名古屋大学考古学研究室
壺 埼玉県三芳町藤久保出土 8世紀 東京国立博物館
壺 新潟県出土 6世紀
壺 岐阜県上石津町二又1号墳出土 6世紀 名古屋大学考古学研究室
壺 木更津市東光院境内出土 7世紀 東京国立博物館
壺 竜野市西吉山古墳出土 6世紀 京都田立博物館
広口壺 堺市檜尾塚原9号墳出土 6世紀 大阪府教育委員会
広口壺 竜野市西宮山古墳出土 6世紀 京都国立博物館
子持はそう・装飾器台 福岡市羽根戸出土 5世紀 重要文化財 伊勢神宮徴古館農業館
はそう・筒形器台 松江市金崎古墳出土 5世紀 京都大学文学部考古学研究室
筒形器台 岐阜県南濃町城山古墳出土 5世紀 岐阜大学史学研究室
広口壺・器台 姫路市吉山古墳出土 5世紀 吉山古墳発掘調査団
器台 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
器台 東広鳥市三ツ城古墳出土 5世紀 広鳥大学考古学研究室
子持壺・器台 6世紀 奈良県立考古博物館
広口壺・器台 竜野市西富山古墳出土 6世紀 京都国立博物館
脚付装飾壺 福井県美浜町獅子塚古墳出土 6世紀 東京国立博物館
脚付装飾壺 茨木市南塚古墳出土 6世紀 大阪府教育委員会
芻付装飾壺 竜野市西宮山古墳出土 6世紀 京都国立博物館
脚付装飾壺 岡山県牛窓町鹿忍出土 6世紀 東京国立博物館
脚付装飾壺 岡山県熊山町可真出土 6世紀 東京国立博物館
脚付壺 松江市金崎古墳出土 5世紀 京都大学文学部考古学研究室
装飾有蓋壺 岸和田市山直沼谷山出土 6世紀 東京国立博物館
脚付装飾有蓋壺 岡山県山手村辻畑出土 6世紀 東京国立博物館
脚付子持有蓋壺 6世紀 奈良県立考古博物館
脚付有蓋壺 豊田市豊田大塚古墳出土 6世紀 豊田市郷土資料館
脚付四連壺 豊田市豊田大塚古墳出土 6世紀 豊田市郷土資料館
脚付鳥蓋壺 名古屋市師長古墳出土 7世紀
脚付鳥蓋壺 愛知県一宮町炭焼平14号墳出土 7世紀 名古屋大学考古学研究室
脚付鳥蓋壺 岡崎市岩津1号墳出土 7世紀 岡崎市郷土館
脚付鳥蓋壺 鳥羽市蟹沢古墳出土 7世紀 東京国立博物館
直口壺 松江市金崎古墳出土 5世紀 京都大学文学部考古学研究室
直口壺 岐阜県南濃町城山古墳出土 5世紀 岐阜大学史学研究室
脚付直口壺 堺市檜尾塚原9号墳出土 6世紀 大阪府教育委員会
台付直口壺 7世紀
三脚付壺 福岡市高崎2号墳出土 7世紀 九州歴史資料館
三脚付壺 福岡県吉井町屋部西谷出土 7世紀 東京国立博物館
三脚付壺 福岡県前原町出土 7世紀 伊勢神宮微古館農業館
長頸瓶 鳥羽市蟹穴古墳出土 7世紀 東京国立博物館
有蓋壺 埼玉県三芳町藤久保出土 8世紀 東京国立博物館
獣脚付壺 松阪市出土 8世紀
横見 竜野市西吉山古墳出土 6世紀 京都国立博物館
平瓶岐阜県安八郡出土 7世紀 岐阜大学史学研究室
平瓶 春日井市高蔵寺2号窯出土 8世紀 名古屋大学考古学研究室
子持平瓶 広鳥県本郷町御年代古墳出土 7世紀 東京国立博物館
提瓶 関市陽徳寺古墳出土 6世紀 陽徳寺
提瓶 関市陽徳寺古墳出土 6世紀 陽徳寺
提瓶 豊岡市中郷市谷出土 7世紀 京都大学文学部考古学研究室
提瓶 岐阜県上石津町山村4号墳出土 7世紀 名古屋大学考古学研究室
皮袋形瓶 6~7世紀 京都大学文学部考古学研究室
皮袋形瓶 福岡市野芥出土 6~7世紀 伊勢神宮徴古館農業館
鳥形瓶 広島県向原町坂奥田山出土 7世紀 東京国立博物館
鳥形瓶 広島県高宮町古墳出土 7世紀 広島大学考古学研究室
環状瓶 広島県向原町坂出土 6~7世紀 東京国立博物館
環状瓶 広島県河内町出土 6~7世紀 広島大学考古学研究室
樽形ハソウ 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
樽形ハソウ 鈴鹿市算所出土 5~6世紀
はそう 三重県嬉野町天花寺出土 5世紀
装飾ハソウ 御所市出土 6世紀 京都大学文学部考古学研究室
脚付ハソウ 6世紀 奈良県立考古博物館
ハソウ 岐阜県上石津町山村4号墳出土 7世紀 名古屋大学考古学研究室
把手付椀 笠岡市新賀出土 5世紀 倉敷考古館
把手付椀 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
把手付椀 安来市飯生町出土 6世紀
鈴台付壺 鈴鹿市石薬師町出土 6世紀
短頸壺 関市陽徳寺古墳出土 6世紀 陽徳寺
台付椀 岡崎市岩津3号墳出土 7世紀 岡崎市郷土館
台付椀 愛知県一宮町炭焼平12号墳出土 7世紀 名古屋大学考古学研究室
高坏 姫路市宮山古墳出土 7世紀 吉山古墳発掘調査団
高坏 大東市堂山古墳出土 5世紀 大阪府教育委員会
高坏 松江市金崎古墳出土 5世紀 京都大学文学部考古学研究室
高坏 岐阜県上石津町二又1号墳出土 6世紀 名古屋大学考古学研究室
高坏 京都府八幡町美濃山荒坂横穴出土 6世紀 京都大学文学部考古学研究室
高坏 堺市檜尾塚原9号墳出土 6世紀 大阪府教育委員会
坏 大阪府陶邑窯出土 5世紀 大阪府教育委員会
坏 大阪府陶邑窯出土 7世紀 平安学園考古学クラブ