25.8×18.5㎝
【装幀】簡易製本(紙縒り綴じ)
【題箋】『習文録 上下』
【習文録と皆川淇園について】
『ウィキペディア(Wikipedia)』に依ると、
皆川 淇園(みながわ きえん、享保19年12月8日(1734年1月1日) - 文化4年5月16日(1807年6月21日))は、江戸時代中期の儒学者。
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『江戸時代における漢文教育法の一考察
伊藤仁斎の復文と皆川洪園の射覆文を中心に』李長波 に依ると。
復文とは、漢文の書き下し文から元の漢文を復元することによって漢文の作文と漢文法に習熟するための漢文教育法のことである。
復文を発案し、それを最初に漢文教育に用いたのは、伊藤仁斎。
伊藤仁斎に遅れること約百年、同じく京都で漢学塾を開いた皆川洪園も、「射覆文」と称して漢文作法と漢文法の教育のために復文を用いたことが知られている。
その教材を集めて出版したものが『習文録』(初編~四編)であり、復文の成績判定の基準となる同訓異義語の意味と用法を詳しく解説した『増訂習文録甲乙判』(上下)が今に伝わっている。
【内容】
因みに、上巻各項目に「宮甲」・「商甲」……「羽癸」の名が付けられているか、なぜか下巻には「宮甲」・「宮乙」・「宮丙」……「羽癸」の順になっている。つまり、上巻と下巻の順序と違っているという事。対照すると確かに順序が違った。
下巻の「甲乙判」は前述のように「同訓異義語の意味と用法を解説」したもの。もっと詳しいものは『増訂習文録甲乙判』(上下)に載せられている。
下巻末の「附有斐齋射復比較科範」は採点の基準を示すもの。
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上巻 全26丁
習文録題言 安永三(1774)年甲午季秋 浪華 葛西欽題 3丁
習文録讀譜 4丁表~26丁裏
1宮甲 夏邑ノ陳世恩
2商甲
3角甲
4徴甲
5羽甲
6宮乙
7商乙
8角乙
9徴乙
10羽乙
11宮丙
12商丙
13角丙
14徴丙
15羽丙
16宮丁
17商丁
18角丁
19徴丁
20羽丁
21宮戌
22商戌
23角戌
24徴戌
25羽戌
26宮巳
27商巳
28角巳
29徴巳
30羽巳
31宮庚
32商庚
33角庚
34徴庚
35羽庚
36宮辛
37商辛
38角辛
39徴辛
40羽辛
41宮壬
42商壬
43角壬
44徴壬
45羽壬
46宮癸
47商癸
48角癸
49徴癸
50羽癸
以上凡五十題
甲午習文録譯題終
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下巻 全27丁
習文録原文
1宮甲 1丁表
2宮乙
3宮丙
4宮丁
5宮戌
6宮巳
7宮庚
8宮辛
9宮壬
10宮癸
11商甲(無し)
12商乙
13商丙
14商丁
15商戌
16商巳
17商庚
18商辛
19商壬
20商癸
21角甲
22角乙
23角丙
24角丁
25角戌
26角巳
27角庚
28角辛
29角壬
30角癸
31徴甲
32徴乙
33徴丙
34徴丁
35徴戌
36徴巳
37徴庚
38徴辛
39徴壬
40徴癸
41羽甲
42羽乙
43羽丙
44羽丁
45羽戌
46羽巳
47羽庚
48羽辛
49羽壬
50羽癸
已上原文凡五十首
有斐齋科範凡錯置者一當五失
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甲乙判(同訓異義の漢字の使い分けを説明) 16丁裏
1宮甲
2宮乙
3宮丙
4宮丁
5宮戌
6宮巳
7宮庚
8宮辛
9宮壬
10宮癸
11商甲
12商乙
13商丙
14商丁
15商戌
16商巳
17商庚
18商辛
19商壬
20商癸
21角甲
22角乙
23角丙
24角丁
25角戌
26角巳
27角庚
28角辛
29角壬
30角癸
31徴甲
32徴乙
33徴丙
34徴丁
35徴戌
36徴巳
37徴庚
38徴辛
39徴壬
40徴癸
41羽甲
42羽乙
43羽丙
44羽丁
45羽戌
46羽巳
47羽庚
48羽辛
49羽壬
50羽癸
附有斐齋射復比較科範(採点の基準を示す。)27丁表~27丁裏
【刊記】不明
ただし、前述の「江戸時代における漢文教育法の一考察 一伊藤仁斎の復文と皆川洪園の射覆文を中心にー」に掲載の画像が出品本と同一【画像2・9参照】なので、恐らく次の如くである。【画像10参照】
寛政十年七月出板
明治九年五月十八日版権免許
編次者 個人 皆川淇園
出板人 藤井孫兵衞
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。