このツアーはビートルズの「Drive My Car」から始まり、初めてステージで採り上げるビートルズ・ナンバーの数々に加え、ポールが初めて作曲したといわれる「I Lost My Little Girl」、さらにポールがドラムに座ってヘイミッシュがヴォーカルをとる「Ain’t No Sunshine」など、今となっては珍しいナンバーが目白押し。 特に目を引くのは、当時のニューアルバム『オフ・ザ・グラウンド』に収録のナンバーも数多く採り上げられたこと。 これは前作の『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に伴うツアーの大成功に続いて、ツアーを行なったバンドでライヴ形式でレコーディングされた『オフ・ザ・グラウンド』は、まさにライヴでの演奏を前提としてのものだった事が明らかとなっている。
ハードな「Looking For Changes」、ステージ演出が印象的だった「Biker Like An Icon」、シングル「Hope Of Deliverance」、 そして今となってはマッカートニー・クラシックとなった名曲「C’mon People」など、ソロになってからのポールのツアーの中にあっても、 これほど新曲をふんだんに盛り込んだライヴは珍しい。いかにこの時期のポールが充実していたかが伺える。 おそらくこの後も本来であれば大規模なツアーが続けられていたはずなのだが、残念ながらリンダの体調がそれを許さなかった。 次にポールがステージに立つのが2002年まで待たねばならず、これがリンダが一緒にいた最後のツアーとなってしまったのである。 もちろん日本のファンがリンダを見た最後のステージも、このツアーであった。