監修/文化庁・東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館
執筆・編集/灰野昭郎
巻頭口絵写真カラー
本文モノクロ
※絶版
本書は江戸時代の漆芸家、細工師、小川破笠にテーマを絞り、
小川破笠および没後の明治期に至る破笠細工作品を中心とした作品145図を、
図版解説とともに整理分類し、掘り下げて詳細に論考したもので、本書の図版やデータは大変貴重な資料。
巻末には、「海を渡った漆器 西洋蒔絵事情」収録。大航海時代以降戦後までの、日本の輸出漆器・蒔絵をめぐる歴史を王侯貴族のコレクション、参考図版などもまじえて述べる。
小ぶり・本文はモノクロ図版が中心でありながら二段組テキストで、
日本の中近世漆芸蒔絵研究の第一人者による解説論考は、
内容充実、情報満載の研究書となるもの。
小川破笠、破笠細工については、海外での人気が中心であったためか、
日本においては作品集や論考、評伝などの書籍はほとんど無く、
日本の古美術、工芸、漆芸、蒔絵、江戸工芸、印籠、硯箱コレクター、
鑑賞に欠かせない知識満載の大変貴重な絶版図録解説本。
【目次】
小川破笠 江戸工芸の粋
破笠概観
ヨーロッパに於ける破笠-RITUO-
日本・明治期の破笠
俳人破笠 青年期
工人破笠 熟年期
津軽藩での破笠の仕事
「春日野御硯箱・みみずく文庫添」の製作
「土屋安親との合作硯箱」の製作
『独楽徒然集』への参画
破笠細工の意匠の原点とその技法
九貢の象と『方氏墨譜』『程氏墨苑』
『装剣奇賞』と印籠師破笠
古墨写しの破笠細工
刀装具を模した破笠細工
楽茶碗写しの破笠細工
擬作者破笠
青海勘七と破笠
二代目団十郎と笠翁細工
破笠の版画
画人破笠
晩年の笠翁
破笠の子孫
笠翁細工(御擬作)
破笠没後の笠翁細工 明治以降
図版目録
海を渡った漆器 西洋蒔絵事情
【破笠概観】一部紹介
ヨーロッパに於ける破笠‐RITUO‐
「日本はわれわれにとっては昨日誕生したのである。距離がなくなったといっても、その言語を知らないことがわれわれを日本からひき離し、日本の巨匠たちの時代や、ジャンルや、また趣向を示す象徴としての各名称を識別する諸情報は入手し難い。このような作業を試みることはおそらく現在では無謀といえよう。すなわち、相当量の資料がまだ不足している。しかしながら、時代の片鱗、また全芸術の一分野をそなえている幾人かの偉大な作家をとりあげることはできる。
私がここに、おおよそのその人物の描写をしようとしている芸術家である笠翁は、第一級の作家の一人であろう。彼は非常に多様性をもち、美術のほとんどすべての分野に手をつけ、試みたすべてに成功した。彼は画家、彫刻家、漆芸家、陶芸家として、造形したやきものや塗りあげたうるしの器、あるいは彫刻した象牙や木の材料、また装飾したパネルは傑作として数えられている。」(中略)
以上は「笠翁とその一派」というエルネスト・アールのフランス語の論文である。一八八九年四月にパリで発表されたものだ。当時パリの著名な画商でもあり、二〇年以上も日本美術商でもあったサミュエル・ビングの監修する「芸術の日本」の一冊として刊行されたのである。
この「芸術の日本」は一八八八年五月から一八九一年四月まで毎月一編ずつ日本美術および文化について、パリを中心として活雛していた日本研究者の論文を刊行したものである。論文は三六編まで続き、日本の建築、絵画、版画、刀剣、陶器、根付、演劇芝居などその幅は広く、開国二〇年という時点での日本美術論としては驚愕するほどにくわしい。論者はサミュエル・ビングを筆頭に錚々たる日本通であり、日本美術のコレクター達であった。(以下略)
【日本・明治期の破笠】より一部紹介
しかし当時の日本、明治人たちはこのパリで作家論まで書かれている破笠について、あまり知ってはいない。というのは後述するが、大正時代以降、欧米で人気のあった破笠についての、論考が日本でなされはじめたからである。
破笠は一八世紀の江戸人である。明治期においてはすでに一五〇年以前に没した工人でしかないのだ。光琳と比べればその知名度ははるかに薄い。
その破笠がパリで一流の工芸作家としてとりあげられたのはなぜか。おそらくその作風がヨーロッパ人のては、林忠正が我が国の絵画や彫刻などの美術品だけでではなく工芸品に大いに関心があった事と、特に破笠の作品に興味をもっていた数少ないヨーロッパに於ける日本人であったからであろう(このことについては後述する)。
小川破笠、俗称は平助。字は尚行。宗羽、宗宇、破笠、笠翁、卯観子、夢中庵などと号した。
生国は江戸とも伊勢ともいうがはっきりしない。ただ、逸話は多い。ここに二、三とりあげてみる。
「破笠は一日感ずるところがあって、飄然家を出て、木曽の山中をさまよっていた。身には襤褥を纏い、ただ笠一つだけを手にしている。折から芭蕉が木曽を行脚して、破笠に逢ったが、この汚い男は、どうも凡人ではないと見て収ったので、しばらく連れ立って歩いた。その時、破笠が自分の身を顧みてこう吟じた。
乞食にもかうはなられぬかかしかな
芭蕉はこの句を褒めて、破笠の号を与えて門人とした。それから彼は、其角や嵐雪とも交わりを結ぶようになった。」(「俳味」大正四年所収「俳人略伝」)
「破笠は常に両国橋のほとりにいて、自分で造った土器を販売して細々と暮らしをたてていた。しかし、それらの品々も一向に売れないのだから、時には飢餓にも迫られたが、それでも人に憐れみを乞おうとはしなかった。一日、津軽侯が両国橋を過ぎようとして、駕籠の中から並べた器をご覧になると、果たして絶世の妙作。そこで侯は破笠を招かれ、破笠も侯の知遇に感じその臣下に列するにいたった。津軽家に破笠の作品を多く蔵しているのは、それ故である」(以下略)
【笠翁細工(御擬作)】より一部紹介
破笠ははじめ俳人であり、松尾芭蕉を師事し、岳父に福田露言をもった。榎本其角、服部嵐雷と深交し、英一蝶、津軽信寿にとその交りの輪は拡がっていった。四十代半ばにして其角、嵐雪の死によって、俳人として生きる逆を断ち、工人として再出発を誓ったに相違ない。おそらく。漆芸技術を習得し、細工の意匠を考案し、上方にもその装飾材料の繁材を求めて旅立ったと推測出来る。そして、その意匠の原点を「方氏墨譜」「程氏墨苑」という中国明時代の古墨に見い出した。これには津軽藩主信寿公の力強い援助があったのである。さらにこの古墨意匠は古墨そのものを漆工技術で擬作するというものまで発展し、印籠、茶道具にまで展開していったのである。
六十一歳の破笠は津軽藩に仕える。細工人として、また藩主(隠居)の伽役としてである。破笠は天にも昇る気持であったに違いない。そして、ここで書家後藤仲龍、金工師土屋安親と出会う。この二人との交流は破笠の作風をより格調高いものとしていく。仲龍は俳人破笠に漢詩や中国文物鑑賞に影響を与えたであろうし、安親はその合作と同時に刀装具の擬作の暗示を与えたのではなかろうか。さらに、津軽家伝来の什物の実見から、茶道具の知識、感党というものを会得し、楽茶碗の擬作にまで到達したのであろう。
この頃には、俳人破笠として復活し、俳句、俳人を楽しむという人間的な幅も身につけてくる。(以下略)
【作品解説】一部紹介
春日野蒔絵硯箱 蓋表(出光美術館)
柏ニ木菟蒔絵料紙箱 蓋表(出光美術館)
小川破笠の津軽藩時代の代表的作品。硯箱蓋表の漢詩は津軽五代藩主信寿の作。この詩を藩の町家後藤仲龍(千次郎)が揮毫し、それをもとに破笠が製作した硯箱と料紙箱の一員。硯箱は漢詩に秋草と鹿を蒔絵と陶板で表わし、蓋側面には「福・寿」の字を並べている。料紙箱は蓋表に柏に止まる木菟を高蒔絵、陶板、螺鈿などで表わし、側面には四季を詠んだ漢詩がそえられている。硯の両側面に「享保年製」、水滴にも「享保年製」「尚行」「観」の銘があり、料紙箱底には「仲龍写 楽命」「笠翁製 観」の銘と印がある。破笠の基準作として最も重要な遺品。
刀装具意匠茶箱(名古屋市博物館)
藤編の地に鐔、小刀柄、笄を配した茶箱。これら刀装具は本来金属製。破笠細工の場合、これを金属製であるかの如く、漆芸で仕上げている。これを当時擬作とよんでいる。金工師土屋安親と破笠は合作もあり、その作を模したものとも考えられる。
鍔口形硯箱(ヴィクトリア&アルバート博物館)
鍔口形の硯箱。いかにも鍔口という金属製の器物を漆芸技法でよく表わしている。3枚の千社札が貼られ、「夢中庵」「はりつ」「行年八十有四」と読みとれる。破笠84歳の作品。蓋裏には1匹の蜘が表わされ、鰐口の裏に遊ぶ蜘という、破笠らしいユーモアがある。
象唐子意匠硯箱 蓋表
木地に盛装の象を蒔絵で、唐子を陶板で象嵌した硯箱。おそらく「九貢」の象からヒントを得たものであろう。印も「破笠」という珍らしいもの。
古墨意匠硯箱 蓋表(東京国立博物館)
蓋表に円形陶板に龍を意匠した方形古墨と円形古墨を配す。方形には「享保五歳庚子存口」「笠翁製」の銘と「観」の印を墨銘のように表わす。円形墨には樹下高士図に「錦花斎」の銘がある。蓋裏は叢梨地に玉眼の虎の文鎮、堆朱の筆を意匠している。
貝尽意匠硯箱(サントリー美術館)
総体黒漆を塗り、蓋表から側面にかけて、貝般、各種玉類を整形して帆立貝、鳥貝、巻貝、栄螺、紫貝、松葉貝などを表わした貝尽しの意匠にし、その間に蒔絵で海草や藻を配している。この意匠も『方氏墨譜』『程氏墨苑』にみる「玄海效珎」にデザインの源をみることが出来る。
夕顔意匠料紙箱 蓋表(部分)
木地を生かした地に陶片、螺鈿、堆朱、堆墨、鼈甲など観々の象嵌と蒔絵で竹垣に蔓をからませて伸びる夕顔を表わす。また、その夕顔に蟷螂、飛蝗、兜虫などの昆虫が配されている。図版はかなり部分的に拡大しているが充分にたえられる。
ほか
【著者について】
灰野昭郎(はいの あきお)
1942年、新潟県生まれ。早稲田大学文学部(美術専修)卒。現在、京都国立博物館工芸室長。著書に『鎌倉彫』(京都書院)『近世の漆工』(「日本の美術」231 至文賞)、『婚礼道具』(「日本の美術」277 至文堂)、『高台寺蒔絵と南蛮漆器』(京都国立博物館編)、『笠翁細工・小川破笠』(京都国立博物館編)、『近世の蒔絵』(中央公論社)、『日本の意匠』(岩波書店)『美術館へ行こう 漆の器を知る』(新潮社)、「蒔絵一漆黒と黄金の日本美一」(淡交社)等。
【図版目録】より一部紹介 重要美術品に印あり 所蔵先記載
表紙 九貢象意匠硯箱蓋表 彦根城博物館
表紙 裏破笠安親合作硯箱 破笠安親合作硯箱蓋裏と見込 根津美術館
九貢象意匠硯箱 彦根城博物館
春日野蒔絵硯箱蓋表 出光芙術館
柏ニ木菟蒔絵料紙箱蓋表 出光美術館
刀装具意匠茶箱 名古屋市博物館
鍔口形硯箱 ヴィクトリア&アルバート博物館
楽茶碗写し碗底「観」銘 根津美術館
楽茶碗写し 根津美術館
象唐子意匠硯箱 蓋表
九貢象意匠硯箱 蓋表 大阪市立美術館
文房意匠板戸 名古屋市博物館
印籠意匠硯箱 蓋表 東京国立博物館
古墨意匠硯箱 蓋表部分
古墨形印籠 表 大阪市立美術館
古墨形印籠 表
古墨形香合 蓋表
古墨形香合 底
古墨意匠硯箱 蓋表 東京国立博物館
釣花生意匠硯箱
三夕意匠料紙箱
夕顔意匠硯箱 蓋表部分
夕顔意匠料紙箱 蓋表部分
貝尽意匠硯箱 サントリー美術館
芭蕉翁図部分
地蔵菩薩像部分
関羽図 弘前市立博物館
美人図 弘前市立博物館
楊貴妃意匠料紙箱 蓋表 東京国立博物館
楊貴妃意匠硯箱 蓋表 東京国立博物館
李白意匠聯 裏面銘 東京国立博物館
李白意匠聯 部分 東京国立博物館
「三友一被図」
春日野蒔絵硯箱 蓋表部分 出光美術館
春日野蒔絵硯箱版図
春日野蒔絵硯箱側面図
巻日野蒔絵硯箱 出光美術館
春日野蒔絵硯箱 側面 出光美術館
柏木菟蒔絵料紙箱 銘 出光美術館
栢二木菟蒔絵料紙箱 出光美術館
柏に木菟蒔絵料紙箱 側面 出光美術館
巻日野蒔絵硯箱 水滴 出光美術館
春日野蒔絵硯箱 水滴銘 出光美術館
「方氏墨譜」「玄鯨柱」
春日野蒔絵硯箱姪 出光美術館
春日野蒔絵硯箱硯銘 出光美術館
巻日野蒔絵硯箱見込 出光美術館
破笠安親合作硯箱 蓋表と見込 根津美術館
破笠安親合作硯箱 蓋表 根津美術館
破笠安親合作硯箱 蓋裏 根津美術館
「独楽徒然集」中扉
「独楽徒然集」津軽信寿自序
「独楽徒然集」破笠筆挿図
「方氏墨譜」「九貢」
「程氏墨苑」「九貢」
九貢象意匠硯箱 蓋表と見込 彦根城博物館
象蒔絵色紙箱
九貢象意匠硯箱 蓋表 大阪市立美術館
九貢象意匠硯箱 蓋裏 大阪市立美術館
津軽家硯箱表
九貢象意匠印籠箪笥
九貢象意匠印籠箪笥 蓋裏
『装剣奇賞』部分
(以下所蔵先等略)
印籠意匠硯箱
印籠意匠硯箱 蓋表部分
九貢象意匠印籠 表
九貢象意匠印籠 裏
九貢象意匠円形印籠 表
九貢象意匠円形印籠 裹
「方氏墨譜」「玄元霊気」
古墨形香合 蓋表
古墨形香合 底
古墨形香合 不白箱書
宝露台意匠印籠表
宝露台意匠印籠裏
宝露台意匠印籠側面銘
「方氏墨譜」「宝露台」
「程氏墨苑」「宝露台」
「方氏墨譜」「龍門」
「程氏墨苑」「龍鯉」
龍鯉意匠印籠 表
龍鯉意匠印籠 裏
龍鯉意匠印籠 側面銘
文房具意匠杉戸
「程氏墨苑」「玄海珍宝」
「方氏墨譜」「玄海珍宝」
貝尽意匠料紙箱 蓋表
刀装意匠茶箱
刀装意匠茶箱 蓋表
刀装意匠茶箱 蓋裏
刀装意匠茶箱 側面
芭蕉翁像
牟禮高松図
義経・静・弁慶図
扇面乙御前図
静御前男舞図
白衣観音
魚類図
古墨意匠硯箱
古墨意匠硯箱 蓋裏
文房具意匠硯箱
文房具意匠硯箱 蓋裏
釣花生意匠硯箱 蓋表部分
釣花生意匠硯箱
釣花生意匠硯箱 蓋裏銘
三夕意匠料紙箱 蓋裏
三夕意匠料紙箱 蓋表部分
夕顔意匠硯箱
夕顔意匠硯箱 蓋裏
夕顔意匠料紙箱 蓋裏
夕顔意匠料紙箱 蓋表
海幸意匠硯箱 蓋表と見込
海幸意匠料紙箱 蓋表
鼠意匠硯箱 蓋表
鼠意匠硯箱 蓋裏
立花意匠硯箱
蟷螂意匠硯箱 蓋裏と見込
蟷螂意匠硯箱 蓋裏銘
螳螂意匠硯箱
芦二翡翠意匠聯
李白意匠聯
宝露台意匠聯
「方氏墨附」「宝露台」
柿形香合
柿形香合 銘
鍔口形硯箱
鍔口形硯箱 蓋裏
印籠類
雀稲穂升 側面
雀稲穂升 底
雀稲穂升
雀稲穂料紙箱
足長印籠
阿弥陀如来意匠経箱
獅子舞意匠箱 蓋表
獅子舞意匠箱
楊貴妃意匠硯箱 見込
楊貴妃意匠硯箱 銘
楊貴妃意匠硯箱 蓋表部分
楊貴妃意匠料紙箱 蓋表部分
楊貴妃意匠料紙箱 蓋裏
王羲之意匠杉戸
「芸術の日本」表紙と挿図
宝露台意匠箱 柴田是真作
鍔 柴田是真作
鍔 柴田是真作
小柄 柴田是真作 表
裏表紙 「方氏墨譜」「九貢」