25.1×17.7㎝
【題箋】『雲錦随筆 壽?』
(表表紙に)
第九九七號
(松)本家蔵書
と記される蔵書票が貼り付けてある。
【内容】「随筆」とあるが、「鵙(もず)の早贄(はやにえ)【画像8参照】」や「冬虫夏草【画像9参照】」等の図は彼の思うままに書き綴られたもので、このような「博物誌」的な内容も多い。
・序 蟹満 文久(1861)とあらたまりたるとしの水無月のはじめつかた 1丁半
・總目録 3丁半
・本文 24丁
【刊期等】
序 文久(1861)とあらたまりたるとしの水無月のはじめつかた
大坂 忠雅堂(「日本古典籍画像」の解説に依る)
【参考】 《ウィキペディア》に依る
蔵書票「本家」について
どうも、下記に述べる「本一洋」の一族のようである。
本 一洋、1893年(明治26年)11月29日~1952年(昭和27年)3月9日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。
来歴 京都中京区油小路四条上ルで、染色図案を営む家の4人兄弟のうち長男として生まれる。本名は謹之助。弟も日本画家の本武雄。家は祖父の代から日本画家を出すことを志しており、父吉次郎も菊池芳文に入門し芳樹と号した。しかし、途中で諦め息子たちを日本画家になるよう教育した。
明治43年京都市立美術工芸学校に進学。
卒業した後、1912年(明治45年)京都市立絵画専門学校に進み、
1915年(大正4年)に卒業する。
卒業後山元春挙の画塾早苗会に入門、一洋の号を名乗る。
春挙死後は川村曼舟に師事、同会の重鎮となり歴史画を得意とした。
後略
ということで、この本一洋一族の蔵書の一冊なのかもしれない。
※全体的に、経年によるくすみ、汚れあり。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、虫食い多数あり。
※梱包材の再利用に努めています。ご理解下さい。