万延大判金は、その模様によって「たがね打ち」と「のし目打ち」という二種類がある「万延大判金」のうち、のし目打ちの貨幣で、両方を合わせて17,097枚鋳造された普段づかいではない、特別の貨幣です。
現品は、平成12(2000)年から平成15(2003)年ごろに年商5億円程度の某会社長が東京都内の古銭商から現物投資資産として380万円で購入したと推認できます。このことは、当該古銭商オリジナルの「全品本物」「鑑定保証付」とある型録なるものと、日本貨幣商協同組合刊行の「日本貨幣カタログ2003年版」とが同じ場所に保管されていたこと、取引銀行だったのか、昭和45年3月発行の旧「埼玉銀行」(「あさひ銀行」を経て現「りそな銀行」)の古銭に関する資料も同じ場所にあったことから、伺えます。鑑定保証書は発見に至っておりませんが、江戸時代の貨幣の真贋を鑑定できる者などいるのかどうか個人的には信用ならないと思っています。
出品者は、やがて倒産することとなったこの会社の土地建物及び残置物を東京地方裁判所選任の清算人を通して購入し、売買契約書に基づき引渡し及び登記を済ませ、いずれも所有権を取得しています。
昔の貨幣といえば「小判」というのがお馴染みですが、「大判」は小判よりも大きく、貨幣としてではなく恩賞用や贈答用に鋳造された特別の貨幣で、天正年間に豊臣秀吉が室町将軍家の御用彫金師であった後藤家に鋳造を命じていました。表面の判金面は槌目で装飾され、上下左右に桐極印が打たれ、中央に「拾両・後藤(花押)」などが墨書され、裏面には中央に桐極印、下端に花押極印が打たれています。
量目は十両(44匁=165g)と定められ、大判の拾両は金貨幣の単位ではなく、量目を表したものとされています。現品も165gです。
これらの大判は徳川家康によって引き継がれ、江戸幕府は後藤宗家に独占的に鋳造を請負わせました。慶長大判から始まる江戸幕府の大判は普通裏面左下部に三個の小検極印が備わっています。
大判の評価は墨書きの状態によって決まり、鋳造当時の墨書がそのまま残っている「元書き」、後藤家に判料を支払い書き改めた「直し書」、後藤家以外の者によりなぞり書かれた「後書」や「加筆」があり、順次評価が下がります。
本品は、汚れやくすみがあり、墨書きもところどころ薄くなっている等自然な経年変化があることから、万延大判金としては元書きの上品と評価できると思います。
お引渡しについては、稀少かつ高級高額品であることから、関係資料とともに当方の身分証明書や古物行商許可証をご覧いただきながら直接お届けに上がります。既述のとおり、信用に値する真贋鑑定者などいないと考えており贋物主張は一切お受けしませんので、落札者の方自身でご判断できる方のみご入札お願いします。お届けにあがってご覧いただいた後のキャンセルは構いませんが、ヤフオク手数料が発生することとなった場合はその実費(数十万円?)と、往復所要1時間あたり6,600円の日当交通費をお支払いただく前提のお取引とさせていただきます。