古沢岩美（ふるさわ・いわみ、1912年生～2000年没）は、佐賀県生まれの洋画家で、岡田三郎助に師事し、戦前より長崎アトリエ村にて前衛美術に傾倒した。1938年の独立美術協会展で注目を集め、同年創紀美術協会を結成、解散後は美術文化協会に参加し戦後も活躍を続けた。戦時中の従軍・捕虜体験を経て、戦後は社会批判や戦争体験を主題とした重厚な作品を発表、挿絵では『千夜一夜物語』や『カザノヴァ回想録』を手がけた。1975年には山梨に古沢岩美美術館が開館、1994年には佐賀県鳥栖市から市民栄誉賞を受賞。作品は戦争と社会を見つめた「時代の証言」としての意義を持ち、エロティシズムを「不易への挑戦」として取り上げる独自の芸術観が貫かれている。

古沢岩美「飛魚の唄」油彩 30号 大作
青く揺らめく水面に、ひとりの裸婦が身を横たえています。長く流れる黒髪は海の波と交わり、彼女の肌は月光を受けたようにやわらかく輝く。まなざしは静かにこちらを見つめ、赤い唇には微かな物語の気配を残します。画面を舞う飛魚の群れは水面を跳ね、彼女の周囲に命のリズムと幻想の躍動をもたらしています。本作《飛魚の唄》は、洋画家・古沢岩美が晩年まで追い求めた「エロスと詩情の融合」を体現した傑作です。戦争と社会の現実を描き続けてきた古沢にとって、裸婦は単なる美の象徴ではなく、時に傷つきやすい人間そのものの象徴でもありました。本作においても、女性の肉体は単なる官能を超えて、自然と一体化する神話的存在へと昇華されています。

手にした金色の巻貝は、海の記憶か、それとも彼女自身の内なる声か。巻貝に耳を澄ませるように鑑賞者は、画面から流れ出す「唄」にそっと心を寄せることになるでしょう。女性の顔立ちは実に美しく、端正でありながらどこか幻想的。古沢ならではの美意識と筆致が、まるで夢の中に現れる理想像のような存在を描き出しています。鮮やかな青と滑らかな肌の対比、そして画面全体を包む透明感ある光は、観る者を詩的な沈黙へと誘います。まさに本作は、古沢岩美が長年にわたり追究してきた「不易への挑戦」としてのエロティシズム、そして絵画における美と精神の結晶といえましょう。