A サイパン ポストカード 絵葉書 5枚セット
A-1 たぶん形状から 95式軽戦車
A-2 たぶん形状から 97式中戦車
A-3 野戦砲
A-4 最後の陸海軍合同司令部 地獄谷
A-5 弾丸貫通後の残る教会塔
以下 参考用Data≫
アスリート飛行場(現サイパン国際空港)
タナパグ水上機基地
最高峰タッポーチョ山(H473m)
1943.9.30 絶対国防圏の中核拠点位置付
日本軍守備計画:伝統的な水際配置・水際撃滅主義での上陸部隊撃破
3月陣地構築状況を視察の陸軍参謀「防御は零に等しい」との報告、結局、米軍侵攻時6月 野戦陣地のみ完成
一方、東條英機は「敵がサイパンに来たら我が思う壺だ。そこで待望の殲滅戦を展開しアメリカの戦意を破砕できる」と楽観的な見通し
1944.5.30~米軍上陸わずか半月前 主力の第43師団の大部分 到着 but この師団は 名古屋の防空と工業地域の防衛訓練注力部隊のため地上戦訓練未熟“弱兵師団”/師団長斎藤は「海軍の護衛力も貧弱で、サイパンの持久戦は覚束ない」と、戦えば玉砕に終わることをすでに予感
1944.6.11~ 米軍サイパン攻略開始~空襲 戦艦テネシー、カリフォルニア重巡洋艦ルイビル等の艦砲射撃
チャランカノアビーチ上陸戦 アムトラック
上陸初日の米軍損害:第2海兵師団 戦死・行方不明553/負傷1022+第4海兵師団を含めれば死傷2,000以上で上陸軍10%に、硫黄島の戦(8%)
南郷神社洞窟戦闘指揮所
戦車第9連隊 戦車30輛/戦車兵110名 五島正大佐 97式中戦車 95式軽戦車 タンクデサント突撃
あそ号含め戦車29輛× 連隊長以下3/4の80名戦死
M4中戦車シャーマン 海兵隊員装備新兵器バズーカM101-105mm榴弾砲75mm対戦車砲 M3-75mm 対戦車自走砲 海兵隊員97名死傷
アギガン岬占領
海軍唐島挺身隊全滅
サトウキビ畑 火炎放射器
6.22~6.30 タポチョ山攻防戦 死の谷 パープルハートリッジ 第27歩兵師団 第4海兵師団
6.25 サイパン最大市街地ガラパン~南洋の東京 攻撃開始
海兵隊にはWW2での初市街戦
6.26 独立歩兵第317大隊生存約500名大隊長佐々木指揮 イズリー飛行場七生報国突撃敢行
6.27 陸海軍合同司令部 タナバク1,500m北の通称/地獄谷へ撤退 自然洞穴を最後の司令部とした→絵葉書
7.5 中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一海軍中将 第43師団長斎藤義次陸軍中将 両名 全将兵に総攻撃命令後 自決 第31軍参謀長井桁敬治少将も 戦陣訓 『生きて虜囚の辱を受けず』
7.7 自殺的バンザイ突撃 午前3時出撃 すでに銃弾なく銃剣・軍刀・棍棒だけ 軍民 戦死自決4,301
7.9 日本兵士民間人 北端マッピ山北面 マッピ岬に
投降応じず自決 バンザイクリフやスーサイドクリフ投身
残存少数日本軍地上部隊はゲリラ化遊撃戦 各個戦闘継続
1945.12.1~すでに終戦後 最後の大規模投降 タポチョ山拠点の歩兵第18連隊衛生隊大場栄陸軍大尉以下47名